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2019年2月 1日 (金)

二月の「格言カレンダー」

  早いもので今年も二月です。「格言カレンダー」をめくりますと、「今月の標語」には「思い通りにならぬ事があるのは、自分を反省する機会である」とあります。
 人生は思い通りにならない事ばかりで、そんなとき、誰でも不機嫌になった2gatuりイライラしたりすることがあるものです。そして、その原因を「周囲の状況が自分の考えた通りにしないからだ」などと周囲に責任を転嫁しがちです。しかし、いくら相手や天候、或いは周囲のせいにしても事態が好転するわけではありません。
 さて1月26日は、テニス「全豪オープン」女子シングルスで、大坂なおみ(21)選手が、チェコのペトラ・クビトバ(28)選手を破って見事に初優勝し、世界ランキングも一位に輝いています。大坂なおみ選手は、過去には試合中に泣き出したりするなど、メンタル面の弱さが指摘されていました。つまり、狙った方向にボールが行かないなど、思い通りにならぬ事があるとイライラしたり、ラケットを投げつけたりして、冷静さや試合の流れを見失う欠点を克服することが課題とされていました。
 この喜怒哀楽、「感情の揺れ」を克服したのは、ドイツ人コーチのサーシャ・バイン氏の助言、また、カロリナ・プリスコバ選手(チェコ)のポイントを取って喜ばず、失っても動じない冷静さが勉強になったと語っています。それでも、試合後の記者会見で「大会を通じて精神的に成長しているか」と問われ、「う~ん、1歳ぐらい成長したかな。4歳ね。おめでとう私」とユーモラスに答えていました。このように、自分の欠点や悪癖を素直に認めて改善していく努力を続けることこそ、今後も、十分な伸びしろを感じさせていることです。
 この反省を続ける限り、必ずや長くテニス界のトップに君臨し続けることでしょう。

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2019年1月 3日 (木)

現在をいつも第一歩として踏み出せ・・

 格言カレンダー「現在をいつも第一歩として踏み出せば常に希望に満ちてくるDainichi__8072
  我が社では、例年このような「格言カレンダー」をお客様にお配りしておりますが、これは2019年1月の「今月の指針」です。
 この指針と似た言葉としては、出発点に立ち返って考えを直すという「日々新たに」或いは「初心に返る」があります。
 また、パナソニックの創業者・松下幸之助の著書『道をひらく』の中に、「日々是新なれば、すなわち日々是好日」とありますが、何度読み返しても勇気づけられ、含蓄のある凄い言葉です。
 年があらためれば心もあらたまる
 心があらたまればおめでたい。
 正月だけがめでたいのではない。
 心があらたまったとき、それはいつでもおめでたい。
 きのうもきょうも、自然の動きには何ら変わりはない。
 照る陽、吹く風、みな同じ。
 それでも心があらたまれば、見るもの聞くものが、みな新しい。
 年の始めは元旦で、一日の始めは朝起きたとき。
 年の始めがおめでたければ、朝起きたときも同じこと。
 
毎朝、心があらたまれば、毎日がお正月
 あらたまった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。
 
きのうはきのう、きょうはきょう。
 
きのうの苦労をきょうまで持ち越すことはない。
「一日の苦労は一日にて足れり」というように、きょうはまたきょうの運命がひらける。
 きのうの分まで背負ってはいられない。毎日が新しく、毎日が門出である。
 日々是新なれば、すなわち日々是好日。
 素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。
 さあ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。

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2019年1月 1日 (火)

本年も宜しくお願い致します。

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明けましておめでとうございます。
今年も 精一杯お客様の夢をカタチにするお手伝いを致したいと決意しております。
ご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
                           大日建設(株) 杉山武久
 2019年(平成31年) 亥年 元旦

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2018年12月 2日 (日)

清貧に暮らす証に芋茎(ずいき)汁

 「芋茎(ずいき)」或いは「芋がら」はサトイモの茎(葉柄)のことで、赤・青・白色の3種類あります。Imogara_2018_11_4「赤ずいき」は関東地方でも食べることがありますが、「青ずいき」は東北地方で栽培されている種類は食べられるそうです。また、背丈の低いうちから光を遮断して軟化栽培した「白ずいき」は、京都などの料亭で高級料理として使われると聞きます。
 今年は、「赤ずいき」も「青ずいき」も何度も頂いて食べる機会がありました。
 シャキシャキした食感や味は殆ど同じで、両方とも、味噌汁の具材や豚肉との油いため、或いは、御浸しなどにして食べてみました。Imogara_2018この「芋がら」は、乾燥させても水に浸して戻すと食べることが出来るので、農家では保存食として、また、昔は芋茎縄にして腰縄にして持ち歩いたそうです。きっと、旅人は携行食の一つとして、或いは、忍者や武士も腰縄にするなどして、万が一の非常食にしたのでしょう。
 最近では東京近辺の人達は、殆ど食べないと聞きますが、もったいないことです。食べるには、丁寧に皮をむき、塩もみや酢であく抜きをするなど下処理が必要なので、面倒と思われているのでしょうか。個人的には、郷里の貧しい生活の中で「芋茎(ずいき)汁」などで食した時代を思い起こさせる貴重なものです。
 なぜか今、「清貧に 暮らす証に 芋茎(ずいき)汁」の駄作とともに、誰かが詠んだ「慎ましく 生きる喜び 根深汁」を連想しています。

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2018年11月24日 (土)

玄関に紅白のアンスリウムを飾る

 我が社の内玄関に、熱帯原産と言われる「アンスリウム」を紅白で飾ってみました。
 「アンスリウム」(和名:紅団扇)はサトイモ科の多Anthurium年草で、地面に根を張らずに大きな樹木などに張り付いて成長する着生植物だそうです。この特徴から、地植えでは根腐れを起こし易いので、日本では鉢植えで育てるのが一般的のようです。この「アンスリウム」を、先日、紅白で頂きましたので、比較的外気が当たらない内玄関の左右に並べてお客様を迎えております。
 花屋さんなどで見かける「アンスリウム」は、赤色やピンクが多いように見受けますが、実際は、白、緑、紫赤、紫、オレンジなどと種類も多くあって、花言葉も色で違うそうです。代表的な赤色は「情熱」、ピンクは「飾らない美しさ」、そして、白色は「熱心」だそうです。
 ただ、花言葉などに拘るようなセンスは全くないことをお断りしておきます。Image2018
  なお、育て方をネットで拾いますと、日本の高温多湿は苦手なので、気温が30℃を越すような時は涼しい場所に移動したり、また、寒さにも弱いので、気温が10℃以下になるようなら室内で育てましょうとあります。これらの条件が揃っていれば、一年中、花びらのように見える鮮やかな仏炎苞(ぶつえんほう)を楽しむことが出来るはずです。Dainichi_kabu_1268

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2018年11月15日 (木)

神棚に稲穂を供えました。

  11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」まで一週間、我が社の神棚にDainichi_2018郷里から持参した稲穂を二束に分けてお供えしました。新嘗祭は「新」は新穀を「嘗」は奉ることで、収穫された新穀を神様に奉り、その恵みに感謝し、五穀豊穣と国家安泰をお祈りする重要な宮中祭祀のひとつです。この日は、天皇陛下が神嘉殿において、新穀を皇祖はじめ神々に供えて感謝された後、陛下自らも召し上がる儀式だそうです。
 現在は「勤労感謝の日」ですが、明治6年に農作物の収穫を祝うために祝日が設けられたのがはじまりでした。これを、連合国軍総司令部(GHQ)から、神道の神話や祭礼、儀式を起源とする祝日は廃止せよとの圧力を受Inaho_124けて、1948年(昭和23年)施行された祝日法以降は新嘗祭の名が消えています。
 それでも、天皇陛下は「新嘗祭」などに『全身全霊』で象徴天皇として臨まれると言われております。それを、神棚に稲穂を供える程度のことが「新嘗祭(にいなめさい)」に結びつけることになるのかは存じませんが、せめての真似事と思っております。
 尚、今上天皇陛下の御退位は来年春であり、今上陛下が新嘗祭に臨まれるのは今年が最後となります。平成最後の「皇室カレンダー」も掲示する準備をしました。

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2018年11月 9日 (金)

「顧客満足度」を高めるには

 昨日、全日空が客室乗務員の「おもてなし」を競うコンテストが開催されたと報じ0000000203200_られていますが、これも「顧客満足度」を高めるための工夫でしょう。食べ物屋さんに例をとれば、「期待以上に美味い」と感じたとき、また食べたいとリピーターになっていたり、それとなく人に奨めていたりしているものです。このように、お客様の期待値を超えてこそ「顧客満足度」は高まるもので、また、お願いしようと思うものです。
 しかし、常に「顧客満足度が高い」状態を保つことは、お客様の期待を、常に超え続けることを追求していくことですから、これで良しということはありません。それだけに、建築業界のデータ改ざん、自動車業界の品質管理などの問題は、この「顧客満足度」を著しく低下させてしまうことであり、極めて残念なことです。「顧客満足度」には、期待外れ、期待通り、期待以上の三段階があるとされますから、こんな不祥事は期待外れ以下の全く評価に値しないことでしょう。
 今、以前に購入していた佐藤知恭著の『基本のキホン あなたが創る顧Tukasa_image客満足』を手にしています。この中に、土佐料理店「司」のウエイトレス近藤ミカさん(当時22歳)の接客に感銘された話が掲載してありますので勝手に紹介させて頂きます。-------
  高知市の土佐料理店「」に、福島県会津若松市の消印の手紙が舞い込みました。会津若松の元高校校長、坂田哲三先生からの手紙でした。先生は定年退職後、これまで苦楽をともにした妻の凱子(よしこ)さんと旅をすることを楽しみにしていました。ところが1997年12月、奥さんがガンで亡くなってしまいました。悲しみから立ち直った坂田先生が、妻の冥福を祈るために四国八十八ヵ所の札所巡りを思い立ったのが99年。そして2000年も讃岐から土佐を回りました。その帰途、飛行機の時間を待つ間、土佐料理「」の高知空港店に入りました。ビールを一本、それに土佐名物のかますの姿ずしを注文しました。そして、「あ、グラスを二つ」と付け加えました。注文を受けたウエイトレスの近藤ミカさん。入社二年目の若い女の子です。お客が一人なのにグラス二つとは、と不思議に思いながらも、ビール一 本とグラス二つを運んだのです。二つのグラスが気になったミカさん。お客さんの方をチラッと見ると、そのお客さんは女の人の写真をテーブルに置いてその前にグラス。そしてそこにビールを注いで乾杯しているではありませんか。きっと亡くなった奥さんの写真を持って札所巡りをしてきたのだと思いました。そこで、姿ずしができ上がって運ぶとき、きっと奥さんと一緒に食べたいに違いないと、お箸と箸置きを二組、小皿を二枚、持っていったのでした。坂田さんの手紙は続きます。
 「こうした旅には必ず家内の写真を持って行っては一緒にビールを飲むのです。しかし、お箸と小皿を出してくれたお店はおたくが初めてです。驚きました。感動で体が震えました。本当に感激して帰りの飛行機の中でも涙が止まりませんでした。」
 (佐藤知恭著『基本のキホン あなたが創る顧客満足』より)

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2018年6月 5日 (火)

我が社も「建築三昧43年」です。

 最近、女性初の報道写真家・笹本恒子さん(103歳)のことが話題になっていましたSasamoto_2018
 笹本さんが初めてカメラを手にしたのは26歳と言いますから、現役生活77年です。また、70年以上も生涯現役の医師を貫き105歳で亡くなった日野原重明氏もおられますから、「建築三昧43年」と語っても、とてもかないません。何事も「石の上にも三年」、或いは「3日、3月、3年は続けなさい」などと諭し、結果として「継続は力なり」「辛抱する木に金がなる」と教えられます。
 仏教の総合大学とされる比叡山には、三大地獄行回峰地獄掃除地獄看経地獄)があると聞きます。「動」の荒行である無動寺の千日回峯行(回峯地獄)はマスコミも注目しますが、他に、「静の荒行」と呼ばれ、目立ちませんが横川の「看経行(かんきんぎょう)」は、朝から晩まで三年間、明けても暮れても途切れずに読経三昧の修行で、日蓮もこの修行をしたそうです。00000fcff
 これよりも厳しい荒行とされるのが、浄土院の 籠山行(掃除地獄)だそうです。
 籠山行は、伝教大師が今も生きているようにお仕えする侍真(じしん)という役目で、12年間毎日、寺院内外に埃一つ残さない掃除三昧で、食事は伝教大師にお供えしたお下がりだけで、且つ、俗界から隔離された12年間の途中に病気になっても医師に診せることも出来ないので、現在まで117名が挑戦し、内26名が途中で亡くなったそうです。平成9年に修行に入り平成21年で満行した宮本祖豊(そほう)さんは、「私は修行という形で自分の心を磨くという形を取りましたけれど、一般の方はそれは出来ません。では、どうするのか?それは自分の仕事を通して心を磨いていくことです」と語っています。
 私が仕事に選んだ建設業や不動産業も、長年続けることで愛着が生まれ、見えなかったものが見えて来たり、試行錯誤を繰り返すことで、ある程度の自信と実績を残す元になったはずですから、宮本さんが語る通りと思っています。

十二年籠山行
 
   https://youtu.be/-wuqc8dBqMI  

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2018年5月21日 (月)

伊豆の踊子の宿「福田家」のこと

 先日、旧友が「今年は伊豆の福田旅館に泊まって河津桜を見て来た」と語りますと、聞いていたImage1事務員が「福田家は私の遠縁なんですよ」と話しに加わって来ました。この事務員の両親が伊豆出身と聞いてはいたのですが、川端康成が大正7年に長期滞在して「伊豆の踊子」を執筆したり、太宰治、井伏鱒二、三好達治ら、錚々たる文人が利用した老舗旅館の縁戚とは迂闊にも知らなかったのです。更に続けて、「父の生家は福田家の分家で、福田家とは同姓でした。それに、戦後間もない頃は祖父の兄弟が経営者で、両親とも近所Fukudaya_7だったので、先々代の女将さん夫妻の媒酌で結婚してから上京したそうです。」と語ったのです。
 まるで、元祖「天城越え」のようです。
 旅館「福田家」は明治12年創業。「伊豆の踊子」では「小川のほとりにある共同浴場の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった」と描かれ、小説の殆どは、この旅館や湯ヶ島温泉を中心に話しが展開しています。知られたことですが、川端康成は少年期に両親ら全員と死に別れて孤児となり、旧制一高の19歳当時、癒しを求めて伊豆を旅し「福田家」に長期滞在。その後も頻繁に訪れて、23歳で「湯ヶ島での思ひ出」を発表。更に27歳で「湯ヶ島での思ひ出」をベースにした小説「伊豆の踊子」を発表しています。
 何を小説の題材にしたのかと考察すると、天城隧道辺りで偶然に旅芸人一座と知り合い、福田家に滞在中も踊子の舞を観察したことなどが発想になったと一般的に推測されています。しかし、事務員が語るには、「体験記なのでそうでしょうが、川端康成が逗留した当時の福田家には、10歳前後の三人姉妹がいたはずで、この娘たちや女将さん方が一学生でも分け隔てない家族的な御もてなしが、孤独感を癒して書く力を貰ったはず・・・」と語っています。そして、有名なアナウンサーも、この家で育っているのですが、これ以上は関係者に迷惑をかける虞もありますから伏せたいと思Image1_2います。
 偶然にも、5月19日NHK放送のブラタモリは「天城越え」でした。河津町梨本の郷土史家・稲葉修三郎(91歳)さんが、伊豆を南北に遮断していた天城峠を貫く天城隧道が完成して間もない頃、初めて通った当時を振り返り「井の中の蛙(河津)大海を知らずでした」と語っていました。事務員も、久しぶりに「天城越え」して、ご先祖の墓参りを兼ねて、両親の出身地の河津町大鍋や福田家辺りを訪問したいと語っています。
■ラジオ図書館 199111 伊豆の踊子https://youtu.be/UPVDG2CyLxsIzuno_odoriko_image
吉永小百合/伊豆の踊子https://youtu.be/HCeuK2WpvCs
■小説「伊豆の踊子」から抜粋000204203200_
  湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。私と男とは絶えず話し続けて、すっかり親しくなった。荻乗梨本なぞの小さい村里を過ぎて、湯ヶ野のわら屋根が麓に見えるようになったころ、私は下田までいっしょに旅をしたいと思い切って言った。彼は大変喜んだ。湯ヶ野の木賃宿の前で四十女が、ではお別れ、という顔をした時に、彼は言ってくれた。「この方はお連れになりたいとおっしゃるんだよ。」
 「それは、それは。旅は道連れ、世は情。私たちのようなつまらない者でも、ご退屈しのぎにはなりますよ。まあ上がってお休みないまし。」とむぞうさに答えた。一時間ほど休んでから、男が私を別の温泉宿へ案内してくれた。
 それまでは私も芸人たちと同じ木賃宿に泊まることとばかり思っていたのだった。
 私たちは街道から石ころ路や石段を一町ばかりおりて、小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった
。---中略----
 彼に指ざされて、私は川向うの共同湯の方を見た。
 湯気の中に七八人の裸体がぼんやり浮んでいた。仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭いもない真裸だ。それが踊り子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに伸び上がる程に子供なんだ。
 私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。
 微笑がいつまでもとまらなかった。
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2018年2月17日 (土)

好物の「落花生」のこと

 落花生は、ピーナッツ、南京豆などとも呼ばれ、昔から食べ過ぎると鼻血が出865df9cbb5_2るぞと言われながら育ったものですが、医学的には証明されていない何ら根拠のない噂のようです。
  落花生の原産地は南米アンデス山麓とされ、日本には江戸時代に沖縄辺りに伝わっていたそうですが、全国には普及しておらず、本格的な栽培は、明治初期にアメリカから種を輸入して奨励してからで、現在では、主に千葉、茨城、神奈川などで美味い品種が栽培されているようです。我が社には千葉県出身の職人さんがおりまして、私の落花生好きを知っていて良くお土産に頂いております。今回頂いたのは、千葉県千葉市若葉区みつわ台の前橋園の「燻りざや」という落花生です。面白い話しは、世界中に落花生が広まったキッカケは、奴隷や家畜用のエサとしてや、戦争時の携帯食糧として広まったという意外な歴史があるそうで、それに戦闘機のパイロットには「落花生入り救命具」が考案され、不時着した際の非常食にも活用されたそうです。
 かつて外国から日本に入って来た、鉄砲、蒸気機関車、自動車、カレー、天ぷら、ラーメン、カステラ等々に限らず、殆どのものが、日本人によって高度に改良、発展し昇華を続ける典型でしょうか。

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