03、 国立市界隈のこと

2018年7月11日 (水)

玉川上水とJR中央線のコース取り

 運河・水路のコース取りや鉄道の線路敷設では、当然ですが、山や崖線などの凸凹・勾配000_img201を苦手とする共通点があります。
 先日、都心に用があり久々にJR中央線(甲武鉄道)を利用する機会がありました。改めて気付いたことは、立川~新宿間は殆どが高架になったのに、国立~国分寺駅辺りは切通しの谷底を走っていることです。その理由は、騒音防止効果のためと誤解していたのですが、実際は、高低差が10m以上もある国分寺崖線(段丘崖)を安全に走行するためでした。少し考えれば分かることで、鉄道は凸凹を上り下りすることが苦手であり、出来るだけ線路を水平にするために、高い場所ではトンネルや切通しで、また、低い地面は盛土、河川は鉄橋で対応しています。
 ところで、玉川上水の水路取りも似たような局面に幾度も遭遇しています。
 工夫をした痕跡は今も随所に残っており、拝島近くの「水喰らい土公園」、玉川上水旧堀跡として史跡に指定された「加美上水公園」、立川断層を避けるため迂回した立川市砂川町の「大曲」などに見られます。
 また、玉川上水の水路は、武蔵野台地の分水嶺を上手に使って流しています。000_tama01_map
 分水嶺 (分水線)とは、雨水が異なる水系に分かれる場所のことで、玉川上水は、西武拝島線・玉川上水駅辺りから三鷹辺りまでの北側の奈良橋川などは荒川方向に、南側の野川、仙川などは多摩川に流れています。更に、三鷹からの下流域では、北側は石神井川や神田川、南側には、目黒川、渋谷川が流れていますが、その分水嶺を利用しています。
 この尾根筋を自然流下することで、まず江戸城を目標とし、その分水網は、品川・世田谷、或いは、八丁堀、霊厳島辺りの江戸の街の隅々に生活用水を見事に届けています。
 この難工事に挑戦した玉川兄弟や先人の驚異的な測量技術は勿論、江戸の発展に長く貢献した玉川上水は、世界遺産登録に十分な価値があると思っています。
「玉川上水」世界遺産登録に期待: 大日建設の社長日記

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2018年3月30日 (金)

奈良橋に「奈良橋」は無かった

 東大和市奈良橋の奈良橋川空堀川に挟まれた位置Image6に社有物件が数棟有りますので、近くの橋の名が気になりました。つまり奈良橋川に架かる奈良が地名になったと思ったのです。近くだけですが橋名を調べたところ、八幡橋、日月橋、元村山橋、熊野前橋はありました、奈良は見つかりませんでした。
  さて、東京の西方・奥多摩の山間部から流れ出た多摩川は、何度も氾濫を繰り返して土砂を運び出して武蔵野台地という扇状地を形成しました。ところが狭山丘陵は多摩川が削り残したように台地にポツンと島状に残り、そして二つの丘陵の間に谷が形成され、その谷をせき止めて狭山湖(山口貯水池)・多摩湖(村山貯水池)が1927年(昭和2年)に完成し都民の水ガメになりました。 面白いのは、二つの湖に流れ込む河川は無く、多摩川の水を羽村取水堰で取り入れ、導水管で貯水池に導き、更に、東村山浄水場、境浄水場へと導かれImage2_2、都民の上水道になっています。
 なお、奈良橋の地名は「豊鹿島神社」に「文政元年(1466)武州多東郡上奈良橋郷」の記録があるそうですが村誕生の年代は不明です。きっと武蔵国の誰かが、万葉集に『あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり』とあるように、奈良のような繁栄を期待したのでしょう。そして、天正19年(1591)徳川家康が江戸に移ると、家臣に領地を与え村々の地頭として配属していますが、このとき村切りという方法で、奈良橋、蔵敷、芋窪、高木、後ヶ谷、清水などと強制分断されたものの、明治期からは大和村の中心地として発展しています。ただ、住民の意向を無視した村切りは後の世まで影響し、今も市長や市議会議員などの選出に尾を引いているそうです。Image8

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2018年3月25日 (日)

府中~奈良橋~所沢「奈良橋道」考

 昨年から、東大和市奈良橋に現場がありますので頻繁に向かう機会がImage6あります。
 最近ですが、たまらん坂がある「多喜窪通り(都道145号立川国分寺線)」を府中方向に車で向かいますと、府中市武蔵台3-1先の「武蔵台二丁目交差点」の左角に「奈良橋通り」の表示に気付きました。名称からして、この辺りから東大和市奈良橋方向に道があったと見て、少し走って見ましたが道は途切れて確認出来ません。そこで、地図で調べてみますと、やはり奈良橋につながる痕跡がありそうです。
 奈良橋の八幡神社東側の「奈良橋道(ならはしみち)」は「鎌倉街道」の伝承があるそうです。この辺りは、武蔵七党の一つ村山党の山口氏が治めた地域で、東村山市や武蔵村山市など名を残しています。山口氏の山口城は平安末期に築城されましたが、1590年の「小田原の役」で破れ、八王子城、小田原城と共に廃城となり、以後は徳川領となりました。しかし城は再建されず、今は所沢市山口1517所在のファッション市場サンキ所沢店の敷地ですが、奈良橋道は、きっと山口城辺りまで延びていたはずです。また古い道に、府中から足利方向に官道東山道武蔵路が延びていましたが、後に「鎌倉街道=府中街道」として整備されたようです。この官道の「駅」の一つに久米川があり、日蓮聖人が佐渡に流される際に一泊したと記録があるそうです。
 なお、『散歩の達人 2018年4月号 立川・国立・国分寺特集』では、「国立のたまらんらん♪雑貨巡り」、「今、谷保に人が集う理由」などが掲載されています。
■『迅速測図』 (明治前期測量の2万分1フランス式彩色地図) こちらで閲覧可能

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2018年2月20日 (火)

国立駅北口 2月28日から一方通行

 JR国立駅北口の東側道路(市道北第1号線)の一方通行00kitaichigo(東向き)を、平成30年2月28日(水)午後1時頃から実施するそうです。個人的には、この辺りには余程の用事がない限りクルマで行くことがありませんので支障はないのですが、お客様に道順を教示する際や、使用中のカーナビに狂いが出ますので、それなりの知識と準備が大切と思います。
 JR国立駅周辺道路は、何かと使い勝手の悪さを指摘されていますが、早く隣の立川駅のように歩行者と自動車の通行を分離したペデストリアンデッキの設置や、南北を結ぶ地下道路、或いはアンダーパスを採用して弱者に優しい安全・安心の街づくりを目指して欲しいものです。

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2018年2月10日 (土)

100時間カレーAMAZING国立店OPEN!

 2月14日(水)のバレンタインの日に「100時間カレーAMAZING国立店」が、国分寺市光町1‐42‐20にOPENするそうです。14220
 同店の情報を拾いますと、2013年に武蔵小山(品川区)に1号店をオープンした欧風カレーの専門店ですが、短期間のうちに主に東京近県に店舗数を増やし、今は10数店舗を展開している注目のカレー専門店のようです。店名の通り、ジックリと時間をかけた調理が売りのようですから、カレー好きとしては早めに味わってみたいものです。
 きっと、国立駅北口界隈の賑わいアップに貢献することでしょう。
【ライス・ルーの量】Fec7f1c9e4
普通(250g)
大盛(350g)・・・+200円
特盛(450g)・・・+200円
極盛(600g)・・・+200円
ライス+ルー大盛り・・・+250円

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2017年12月17日 (日)

「柿が赤くなれば医者が青くなる」

 富有柿、次郎柿、庄内柿、御所柿など、今年の秋も随分と柿の味を堪能させて頂き、お陰様で医者知らずで年を越しそうです。00485
 最近では余り喜ばれない柿ですが、日本の果物の中では最も古い部類だそうで、かつては、何所の家でも飢饉等の食料不足に備えて、何本かの柿の木を植える習慣があったようです。しかし、最近ではその名残りのように、国立市の谷保界隈に限らず多摩地域などの古い農家の屋敷には赤く色づいた柿の木が目立つのですが、そのまま放置され、鳥の餌にされている柿の木も少なくありません。
  面白いことに、柿は英語で「persimmon(パーシモン)」ですが、学名は「Diospyros kaki(ディオスピロス・カキ)」と言う日本語が由来で、意味は「Dios=神」「pyros=穀物」で「神様の食べ物」だそうですから有り難いことです。また、安倍総理がトランプ大統領に50万円のドライバーをお土産にしたことで注目された山形県酒田市の「本間ゴルフ」は、かつてプロ仕様のパーシモンウッドで一躍有名になっていましたので、地元の庄内柿材あたりを使っていると思いきや、主にカナダからの輸入材だそうです。
 昨日は近所の八百屋で、今年は最後の仕入れだという富有柿を買い求めていますので、少しは柿のことを想いながら、「神様の食べ物」を堪能しているところです。

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2017年10月14日 (土)

10月14日は「鉄道の日」です。

 今日は、早朝から出かける都合から、ブログ更新の時間が御座いま000001lせんので、一昨日更新した内容をそのままトップに移動しております。それは、ある会合で鉄道の日に若干なり触れた挨拶をする予定だからです。
 今日10月14日は、145年前の明治5年、西暦1872年(語呂>いや何より鉄道だ)に、新橋~横浜間で鉄道開業を記念する「道の日」です。先日、10月7日は隣接の国分寺市・鉄道総研で平兵衛まつり2017が開催されましたが、元々は10月14日の「鉄道の日」の行事でした。さて、「長州ファイブ」の一人「井上勝鉄道の父」とされ、同時に佐藤政養も「鉄道の父」と称されています。理由は、佐藤政養は初代「鉄道助(次官)」を務め、その時の「鉄道頭(大臣)」が井上勝だったことで、共に鉄道開通に尽力されたことを468_2_2讃えています。ここでは政養に少なからず縁を感じておりますので多く触れておきます。
 私の兄弟は京都で会社を経営していることから、京都には度々出掛けるのですが、数年前、京都市東山区常盤町468−2先「渋谷街道(渋谷越)」の裏手に、源義経の四天王佐藤継信(つぐのぶ)・忠信兄弟之塚があるので参拝したのですが、その近くに「佐藤政養招魂碑」の所在を知ったのです。この碑の土地は、政養が京都在任中に先祖ゆかりの地として買い取り、没後に夫人が建立したそうです。
 なお、佐藤政養は山形県遊佐町升川の出身で、郷里近くにも銅像や碑があるそうです。また、同じ升川は藤沢周平著の実話「義民が駆ける」で庄内藩転封阻止の主役・佐藤藤佐(とうすけ)の出身地でもあり、その長男は順天堂病院の創立者・佐藤泰然と知りました。今春、偶然にも、この遊佐町出身のお客様が来られ、隣接の鉄道総研のことや、鉄道の父・佐藤政養の話題などから意気投合した次第です。因みに、日本で鉄道敷設のキッカケは、1855年にペリーが二度目の来訪時に江戸幕府に贈った鉄道模型からと言われ、開業には英国の技術者を雇っていたとは言え、17年後の明治5(1872)年には新橋~横浜間で開通させたのですから驚くべきことです。この「佐藤継信・忠信之塚」や「佐藤政養招魂碑」は、京都市東山区常盤町468−2「京都 とうがらしおじゃこ かむら」や、東山警察署の渋谷交番(京都市東山区上馬町536−3)が目標です。

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 義経の四天王とされる佐藤兄弟の兄・継信は屋島合戦で義経の楯となって戦死。弟・忠信は吉野山中に逃げこんだ義経一行が追手に囲まれた時、義経は佐藤忠信に自分の鎧と「源九郎義経」の姓名を名乗らせ、靜御前の供を言いつけ落ち伸びる話が知られています。
 佐藤政養は、新橋・横浜間を開通させた後、福井から京都間に鉄道敷設計画で赴任中に、自分のご先祖と伝えられる佐藤兄弟の荒れ果てた墓を知り、その土地を買い取り供養しています。きっと佐藤政養は、義経の四天王と言われながらも、影武者のように散った二人に身を重ねたはずです。それから百数十年、やはり顧みる人もなく荒れていたこの土地を、2012年、佐藤政養の故郷の遊佐町が政養顕彰のため土地を購入しています。

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2017年10月11日 (水)

選挙区割りが「安倍マンダー」?

 自分らに有利な選挙区に改定することを「ゲリマンダー」とTk21ku_9言われますが、1812年米国マサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーが、自分らに有利なように選挙区を改定し、その区割り地図に足を描くと形は山椒魚(サラマンダー)によく似ていたことに由来し、自分らに有利な選挙区に改定することを時の政権などから文字ったニックネームです。日本でも1956年の「ハトマンダー」鳩山一郎内閣、1928年の「床マンダー」(床次竹二郎)、1973年「カクマンダー」(田中角栄内閣)、2009年の「ハトマンダー3世」(民主党はマニュフェスト)などがあるそうです。
  さて近年の、衆議院選挙区の「1票の格差」問題は、最高裁から2019年、2012年、2014年の各衆院選で「違憲状態」と判断されたことを受けて、改正公職選挙法が2017年7月16日に施行されました。これにより、今回から「新区割り」が適用されたもので、小選挙区の定数は6県で各1減し、19都道府県の計97選挙区で区割り変更されましたが、都内では「21選挙区」と隣接選挙区が大幅に境界線がイジラレテ、有権者も候補者も入れ替わり不満も大きいように見受けられます。
  この区割変更により、昭島市が21区から25区へ、国立市が19区から21区へ、八王子市の一部が24区から、多摩市の一部が23区から、稲城市の一部が22区から21区へ移行されるという異常な区となり、きっと誰も正確には記憶していないはずです。
  果たして、これに「サラマンダー」ならぬ「安倍マンダー」が該当するのかは無理がありそうですが、気に入らないことは全て安倍内閣に押し付けたい層は、そう言いたいのでしょう。きっと、一番の不満の理由は、それまで応援していた議員が他に移ったとか、今の区では応援したい候補者がいないなどでしょうか・・・・
 個人的には、1つの選挙区から1人だけ当選する小選挙区制よりは、1選挙区から3~4人複数の当選者が出る大選挙区制が日本人向きと思いますので早く戻して欲しいと思っています。理由は、偏向報道が得意なテレビなどに有権者が煽られて、風やムードに流され易い国民と分かったからです。ただ、改憲発議や国民投票のように、多数派が必要な際は風に影響を受け易い小選挙区制が有利と思いますが・・・

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2017年10月 4日 (水)

「平兵衛まつり2017」は10月7日開催

 「平兵衛まつり 2017」のお知らせポスターが、弁天通りに面したBententouri道総合技術研究所のフェンスに数枚掲示されていました。内容は、今年の平兵衛まつりは、2017年10月7日(土)10時~15時30分まで(入場は15時迄)とあります。
 財団法人・鉄道総合技術研究所は国分寺市光町二丁目8番地38に所在し、鉄道ファンの聖地のような場所と言われ、昭和30年代には、新幹線「ひかり」が開発されたところです。かつては、NHKの「プロジェクトX」で「執念が生んだ新幹線」として紹介されたり、数年前はNHKの「ブラタモリ」や「ぶらり途中下車の旅」などのテレビ番組で度々紹Hikikomisen介されています。
 場所は、JR国立駅北口から徒歩約10分の距離で、我が社とは弁天通りを挟んで隣接しています。かつては、中央線からの引込み線で出入りする電車や、人の動きも確認出来ましたが、今は間に高い建物が建設され見えません。 
 因みに、国分寺市光町という地名は、新幹線「ひかり」号にちなんで、旧町名「平兵衛新田」から昭和41年2月1日の「町名整理」で誕生しています。
 去年の「平兵衛まつり2016」は、生憎の雨でしたが今年はどうでしょうか。
「平兵衛まつり2016」は10/8開催: 大日建設の社長日記
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 https://youtu.be/tYK9s4LUH1Y

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2017年9月15日 (金)

「インド人もビックリ」新幹線建設

 我が社の隣には、鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)がありますが、ここで新幹線「ひか2017915image222り号」が開発されたことから国分寺市光町(ひかりちょう)と言う町名が名付けられました。その新幹線が開発されてから50数年、今や台湾や中国にも輸出され、今回はインドから受注され、9月14日に起工式が行われていました。日本の物づくりの象徴と言われる新幹線技術は、最新技術の固まりとされますが、昭和33年の開発当初は、戦闘機「零戦」や特攻兵器「桜花」などの軍事技術が随所に使われ、デザイン、速度アップ、振動を押さえる工夫などをしてImage4_2いました。
 訪印中の安倍晋三首相は9月14日、インド西部グジャラート州アーメダバードで、日本の新幹線方式を導入したインド高速鉄道の起工式にモディ印首相とともに出席し、インドでの新幹線建設が2023年の開業を目指して動き始めました。日本は、インド国民軍を編成しインド独立に貢献したことで感謝されていることや、東京裁判ではインド代表のパール判事の「日本無罪論」を主張したことなどから、お互いに好印象を持っているようです。この新幹線も、国と国をつなぐ架け橋として大きく貢献するはずです。かつて、日本のカレーライスを食べたインド人は、あまりの美味しさに「インド人もビックリ!」と飛び上ったそうですが、きっと、日本が世界に誇る新幹線技術にも同じように驚くことでしょう。
地名「光町」の由来は新幹線「ひかり」: 大日建設の社長日記Dainichi_image

昭和の時代の新幹線構想 https://youtu.be/MV50hvlhc-Y

【これは凄すぎる】外交中の安倍首相が9kmに及ぶパレードで大歓迎される。外国首脳初の異例な大歓待に一見の価値あり!
  https://youtu.be/S0bfNGQq6jE

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