国立市界隈のこと

2019年4月 3日 (水)

令和の聖地・大宰府と国立の関係

 風が吹けば桶屋が儲かるとも言い、思わぬ事が他に影響が及ぶ事があります。
 奈良時代、中国から伝来したばかりの「梅」は珍重され、花の季節に、時の大宰府長官・大伴旅人の邸宅で「梅花の宴」を開き、梅の花を題材に和歌を披露しあったそうです。天平2年(730年)春に催された宴の歌は、万葉集巻五に収録Tobiume_image3された梅花の歌の「序」に「初春の月にして、気淑く風らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」とあり、ここから新年号を見付けています。
 ところで「白村江の戦い」で唐・新羅軍に敗れた663年以降、大和朝廷は九州・壱岐・対馬を管轄し、外交・海防などに当たる役所「大宰府」を設置しています。奈良・平安時代には、遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれ、万葉集の多くの歌に詠まれたり、東国から防人の派遣地としてや、901年に学問の神様・菅原道真の流刑地として知られています。道真公は左遷が決まると「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘れそ」と梅との別れを惜しんでいます。このとき、道真公の子息4人も配流となり、三男・道武公は武蔵国多摩郡(国立市谷保)に流されています。そして道真公が903年亡くなると、道武公が父の姿の像を彫って祀ったのが谷保天満宮の始まりでした。
 谷保天満宮の創建は903年、太宰府天満宮は919年、北野天満宮は947年ですから、道真公を祀る最も古い社でもあります。また、天満宮には道真公が大切にした梅の木が多く植えられている共通項があり、谷保天満宮の境内にも約350本の梅林があり、例年2月下旬~3月上旬頃の「梅まつり」は賑わいを見せています。それに、谷保天満宮の宝物殿付近に「飛梅」がありますが、道真公が愛した梅の木が京から道真が住む太宰府の屋敷の庭へ飛んできた伝説の「飛梅」の接ぎ木だそうです。
 なお、「万葉集」は、5~8世紀にかけて詠まれた4,500余首(全20巻)が収録された日本最古の歌集とされ、編纂の主役は、大宰府長官大伴旅人の長男の大伴家持(718年~785年)と伝わっています。「令和」の出典の万葉集の歌が詠まれたとする大宰府政庁跡の「坂本八幡宮」や大宰府天満宮は観光スポットとして早くも混雑しているそうですから、「令和→大宰府→梅→道真公→道武公」つながりで、果して「風が吹けば桶屋が儲かる」となるかどうか・・・・

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2019年3月22日 (金)

さまざまのこと思い出す桜かな

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 国立市の平成最後の開花状況を知りたいと思い、21日の昼休みに、大学通りの歩道橋で観察して来ました。そうしますと、桜の蕾は大きく膨らんで、今にもはちきれんばかりでしたが、開花した桜は一輪も見つけることが出来ませんでした。
 さて、「さまざまのこと思い出す桜かな」と芭蕉が詠んだように、桜の季節になりますと様々の記憶が思い起こすことがあります。「卒業(終わり)は新たな始まり」とも言いますが、人生の節目節目の多くの場面で、桜が咲いていたり、或いは、散ったりすることで記憶が蘇るからでしょうか。そう言えば実家の近くでは、富士と桜が重なる景観はそれだけで観光地になるほどで、富士と桜はよく似合うと思ったものでした。
 最近ではテレビやネットのお陰で、富士と桜のコラボから必見とされる場所が何か所かあります。絶景のビュースポットとしては、富士吉田市新倉の「新倉山浅間(あらくらやませんげん)公園」からや、三島市辺りからの新幹線と桜と富士山、河口湖からの富士山と桜などは良く知られています。
 個人的には、国の特別天然記念物である「狩宿の下馬桜」もお奨めします。
 「下馬桜」とは、源頼朝が1193年行った有名な「富士の巻狩り」の際、狩宿の本陣近くで、あまりの絶景で頼朝が馬から降りた所だと言われる桜です。富士の巻狩の目的は、前年に征夷大将軍に任じられた頼朝は、その権威を誇示する大々的な軍事演習だったとされます。こ2019_3_21_03_1の巻き狩りの最中には、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇、鎌倉幕府の重鎮で御家人の工藤祐経を討った事件も起きています。
 なお「さまざまのこと思い出す桜かな」は、1687年3月、芭蕉が奥の細道の旅に出る一年前の45歳のとき、伊賀へ帰省した際に詠んだとされます。この「さまざま」には芭蕉の万感の想いが込められているはずです。

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2019年3月 3日 (日)

コーヒーチェーン店のこと。

 日本のコーヒー消費量は世界第4位と言われる如く、国立市界隈でもKunitachi_image2多くのコーヒー店が眼に止まります。中でも、スタバ、タリーズ、ドトール、コメダ、高倉町珈琲、星乃珈琲店などは、何所でも繁盛しているように見受けます。時々は利用する機会もありますので、それぞれの経営母体や特徴などを簡単に整理しておきたいと思います。
 まず、スターバックス(通称スタバ)は、米国シアトルで開業した世界で2万8000カ所ものチェーン店と知られ、最近は創始者シュルツ氏が米大統領選へ立候補を検討中のことや、1杯1200円の高級コーヒーが話題です。日本も全国に約1,300店舗、残っていた島根県内にも4店舗も開店しています。シュルツ氏の両親はユダヤ系ドイツ人移民で、成功したユダヤ系経営者は、何も金融やIT業界にとどまらず、ユダヤ人の「無から有を生み出す力」の証明とされます。なお、スターバックスという社名は小説『白鯨』に登場する一等航海士(Starbuck)の名前からだたそうです。国立市東1-6
 ドトールコーヒーは、創業者は深谷市生まれの鳥羽博道氏と知られ、JCSI(日本版顧客満足度指数)を3年連続で1位を獲得しています。コーヒー豆を直火で焙煎する本格コーヒーを安価で提供するオーソドックスなスタイルで顧客満足度が高いとされます。店名の由来は、鳥羽氏がブラジル・サンパウロでの修業時代に住んでいた場所が「ドトール・ピント・フェライス通り」からとされ、ドトールとはポルトガル語で医者(ドクター)の意味だそうです。国立市中1-16-37
 タリーズコーヒーは、親会社は伊藤園で、子会社タリーズコーヒージャパンが経営しています。フランチャイズ展開が盛んで、商業施設内や病院内への出店など、様々な形態の店舗が特徴です。国立市中1-10-1
 コメダ珈琲店は、名古屋市に本社を置く(株)コメダの喫茶店チェーンで、「コメダ」の名称は、創業者の家業が米屋で、コメダ珈琲店の創業者は加藤太郎氏だから「コメ屋の太郎」、よって「コメダ」と名付けたそうです。国立市北1-5-6
 高倉町珈琲は、国立市東1丁目に本社を置く喫茶店チェーンです。創業はすかいらーく創業者の一人である横川竟(きわむ)氏が、すかいらーくの社長を退任後に展開した喫茶店で、名称の由来は、第一号店が八王子市高倉町からだそうです。尚、すかいらーく1号店は国立店(府中市)ですから、最も国立に縁がありそうです。
 星乃珈琲店は、(株)ドトール・日レスホールディングスの100%子会社「日本レストランシステム(株)」による2011年の創業ながら、現在は全国に約210店を展開しています。星乃珈琲はドトールコーヒーの姉妹関係にあり、ドトールが低価格帯なら、星乃珈琲は高価格帯市場を担っているとされます。国立市中1-8-1加賀谷ビル2F
 このような予備知識で利用されたら、仲間やお客様との話題になるはずです。
 国立市には他にも多くのコーヒー店がありますが、全部は紹介し切れません。

 

 

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2019年1月13日 (日)

役目を終えた?「常夜燈」に想う

 甲州街道に面した国立市谷保6218の「南養寺」入口には「常夜燈」があります。Image
 まるで役目を終えたような「常夜燈」ですが、それでも「火の用心」と同時に「秋葉山から火事」の戒めや 明治天皇も後に「一生の心残り」と悔やんだという「廃仏毀釈」、勘違いから生まれた秋葉原の地名などを連想することがあります。「常夜燈」は「秋葉灯」とも呼ばれ、現代で言うなら「街路灯」や「防犯灯」のような役割りがあったはずです。電力インフラが無く、灯りの少なかった明治・大正の頃までは、夜道の道標として、旅人や村人の暮らしに役立っていたはずです。
 この発祥地は静岡県浜松市の秋葉山とされ、奈良東大寺の大仏建造に尽力したり高尾山薬王院を開いた行基(668~749年)が718年に開山しています。更に、平安時代に三尺坊という修験者が現れ火災を除く神通力を得たとして「火伏の神」として祀られています。この謂れから、人を戒め人の範たる立場の人が自ら過ちを犯してしまうことの喩えとして、「秋葉山から火事」のことわざが生まれています。
 また秋葉山は、神道の「秋葉神社」と仏教の「秋葉寺」に分かれていて、「秋葉寺」は廃仏毀釈されるまで「秋葉神社」を管理監督する別当寺でしたから大変でした。
つまり、明治新政府が断交した「廃仏毀釈」「神仏分離」によって、神道と仏教の立場が逆転し、国宝級の仏像や寺院の破壊、経典の焼却、僧侶は髪を伸ばして還俗(げんぞく)したり、神道の神官に転業したりと宗教界や民衆は大混乱したのでした。
 その「廃仏毀釈」や「神仏分離」が進む明治2年に東京で大火事が発生します。0000002019_618
 明治天皇は焼け野原となった現在の秋葉原駅辺りに、火災除けの緩衝地を設けて「鎮火社」を建立しています。しかし、東京市民は「鎮火社」を秋葉信仰の秋葉三尺坊大権現を祀ったものと勘違いして「秋葉(あきは)の原」と呼んだことで「秋葉原(あきはばら)」の地名になったのでした。後に、秋葉原駅を建設する際に「鎮火社」は上野駅近くの台東区松が谷3-10-7.に移転し、晴れて「秋葉神社」として火難守護、無病息災の神社として信仰を集めています。
 なお、昭和18年に現実に発生した「秋葉山の大火」では、本家本元の「秋葉神社」も全焼し、正に「秋葉山から火事」を体験しています。また、臨済宗建長寺派南養寺入口の「常夜燈」は甲州街道沿いの油家(原田家)前にあったものを甲州街道の拡張工事の際に移転したそうです。

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2018年9月11日 (火)

大坂なおみ選手が立川に来ますよ

 全米オープンテニスで優勝したばかりで、日本国内だけでなく、世界2018_9_1600000526c7が注目する大坂なおみ選手(日清食品)が、もうすぐ、国立の隣町・立川に来るそうです。日本のテニス史上初の4大大会で女子シングルス優勝を果たし、世界ランキングも19位から自己最高の7位に浮上しています。
 日本に凱旋する大坂なおみ(20才)選手が出場予定の、「東レ パン パシフィック オープンテニス2018」は、アリーナ立川立飛で予選は9月15日(土)と9月16日(日)に開催、9月17日~23日は本戦です。今や、日本を代表するトップアスリートとして、世界も注目するほどですから、チケットは完売しているようですが、宿泊先や会場の出入り口辺りでは一目見ようと混雑するはずです。
 立川市は、昭和初期から、軍事施設や軍需工場が集中し、終戦後も進駐軍に接収され、数々の不利益を被った期間もありましたが、全面返還後は、多摩モノレールの開業、国営昭和記念公園や昭和天皇記念館の開設、裁判所、市役所、警視庁、消防庁、海上保安庁などの官庁、その他商業施設が集中する街に変貌しています。
 「アリーナ立川立飛」は去年完成したばかりで、収容人数は3275人。バスケットボールやバレーボール、フットサル、バドミントン、卓球などの大会も可能のようです。かつて、ある立川市会議員が「サッカー等の国際大会が開催出来る施設が欲しい」と語っていましたが、果たして具体的計画はあるのでしょうか。
東レ パン パシフィック オープンテニストーナメント 2018Image
●開催日時
 <本戦> 2018年9月17日(月・祝)~23日(日・祝)
 <予選> 2018年9月15日(土) ~16日(日)
●会場 アリーナ立川立飛・ドーム立川立飛
●所在地  東京都立川市泉町500番4
●関連リンク
公式ホームページ

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2018年8月 7日 (火)

明からの「ラーメン」伝来に想う

 最近では、天ぷら、カレー、寿司などと共に国民食に成長したラーメンの話題です。00000255n773
 まず、室町時代の資料に京都の僧侶が来客に中華麺を振る舞った記述が発見されたそうですが、具体名としては、朱舜水(しゅ・しゅんすい)が調理し水戸光圀公が最初に食したとされます。
 時代背景として、漢民族の国「」は1659年に、異民族の満州族(女真族)の「」から侵略されて滅亡しますが、その直前、長崎に亡命したのが、明の儒学者の朱舜水(しゅ・しゅんすい)(1600年11月17日~1682年5月24日)でした。その数年後、65歳の朱舜水は水戸藩の水戸光圀(水戸黄門)に招かれて江戸で生活することになります。そして、日本史を調べていると、日本の統治者は天皇であると結論づけて光圀に伝えます。これが光圀が「大日本史0000832_1357」編纂と水戸学の基礎を固めたキッカケとされます。つまり、朱舜水は、水戸藩中屋敷(現・東京大学農学部)内で生活し、徳川光圀の先生として厚遇され、水戸藩士の思想に大きな影響を与えています。
 前置きが長くなりましたが、朱舜水が江戸で生活していた当時、中華麺を調理して、光圀に献上したのが、日本におけるラーメン史の始まりとされます。このことは、光圀の生活振りや世相を記した皆如院日乗上人の「日乗上人日記」に残され、横浜のラーメン博物館には、このときのレプリカも展示されています。また、水戸市では「水戸藩らーめん」を再現したラーメImage1ン店も数店あり、都内でも、三鷹市下連雀7-9-4「杏苑 (きょうえん) 」で提供していますから、そのうち、どんなものか出かけたいものです。いずれにしても、カレーはインド、ラーメン豆腐は中国、テンプラカステラはポルトガルからなどが外国から伝来していますが、全てが日本流に洗練されて味もアップしていると思われます。

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2018年7月31日 (火)

牛丼屋の「うな丼」に想う。

 明日、8月1日は土用の丑の日ですから、この暑さを乗り切るために、好物のMainimg_imgうな丼」を食べたいと思っています。それにしても、平賀源内(1728~1780)による「本日土用丑の日」というキャッチコピーは見事です。ただ最近では、鰻専門店の四千円もする「うな重」では贅沢ですので、もっぱら、吉野家・すき屋、松屋などの牛丼屋の千円前後のものです。今年も、それぞれ食べていますが、個人的には「すき屋」のうな丼が好みです。
  すき家はホームページで、
 うなぎは主に中国の福建省や、広東省で養殖されたものを使用しています。
(1)養殖場の選定、エサの選定、養殖、加工、輸入、運送などを全て自社の管理下で行っています。すき家のうなぎは主に中国の福建省や、広東省で養殖されたものを使用しています。養殖場は農薬が飛散する可能性があるため近くに農場がないこと、土壌に残留農薬がないことな0002015_80_2どの基準により選定しています。
(2)水にこだわっています
 きれいな水はうなぎの病気を防ぎ、健康でおいしいうなぎを育みます。そのために水の管理を徹底し、健康なうなぎを育てています。
(3)抗生物質等医薬品も厳重に管理しています
 薬を使う場合は決められた方法で使用して、使った場合は全て記録し、検査を重ねて安全性を確認しています。

と広報していますから、信頼したいものです。
 【2018年の土用の丑の日
 1月21日、2月2日、4月27日、7月20日、8月1日、10月24日、11月5日
  2018年は夏に土用の丑の日が2回あります。
 7月20日(金)を「一の丑」、8月1日(水)を「二の丑」と呼ぶそうです。

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2018年7月11日 (水)

多摩の分水嶺と玉川上水掘削に想う

 運河・水路のコース取りや鉄道の線路敷設では、当然ですが、山や崖線などの凸凹・勾配000_img201を苦手とする共通点があります。
 先日、都心に用があり久々にJR中央線(甲武鉄道)を利用する機会がありました。改めて気付いたことは、立川~新宿間は殆どが高架になったのに、国立~国分寺駅辺りは切通しの谷底を走っていることです。その理由は、騒音防止効果のためと誤解していたのですが、実際は、高低差が10m以上もある国分寺崖線(段丘崖)を安全に走行するためでした。少し考えれば分かることで、鉄道は凸凹を上り下りすることが苦手であり、出来るだけ線路を水平にするために、高い場所ではトンネルや切通しで、また、低い地面は盛土、河川は鉄橋で対応しています。
 ところで、玉川上水の水路取りも似たような局面に幾度も遭遇しています。
 工夫をした痕跡は今も随所に残っており、拝島近くの「水喰らい土公園」、玉川上水旧堀跡として史跡に指定された「加美上水公園」、立川断層を避けるため迂回した立川市砂川町の「大曲」などに見られます。
 また、玉川上水の水路は、武蔵野台地の分水嶺を上手に使って流しています。000_tama01_map
 分水嶺 (分水線)とは、雨水が異なる水系に分かれる場所のことで、玉川上水は、西武拝島線・玉川上水駅辺りから三鷹辺りまでの北側の奈良橋川などは荒川方向に、南側の野川、仙川などは多摩川に流れています。更に、三鷹からの下流域では、北側は石神井川や神田川、南側には、目黒川、渋谷川が流れていますが、その分水嶺を利用しています。
 この尾根筋を自然流下することで、まず江戸城を目標とし、その分水網は、品川・世田谷、或いは、八丁堀、霊厳島辺りの江戸の街の隅々に生活用水を見事に届けています。
 この難工事に挑戦した玉川兄弟や先人の驚異的な測量技術は勿論、江戸の発展に長く貢献した玉川上水は、世界遺産登録に十分な価値があると思っています。
「玉川上水」世界遺産登録に期待: 大日建設の社長日記

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2018年3月30日 (金)

奈良橋に「奈良橋」は無かった

 東大和市奈良橋の奈良橋川空堀川に挟まれた位置Image6に社有物件が数棟有りますので、近くの橋の名が気になりました。つまり、奈良橋川に架かる奈良が地名になったとばかり思っていたのです。近くだけですが橋名を調べたところ、八幡橋、日月橋、元村山橋、熊野前橋などはありましたが、奈良は見つかりませんでした。
  さて、東京の西方・奥多摩の山間部から流れ出た多摩川は、何度も氾濫を繰り返して土砂を運び出して武蔵野台地という扇状地を形成しました。ところが狭山丘陵は多摩川が削り残したように台地にポツンと島状に残り、そして二つの丘陵の間に谷が形成され、その谷をせき止めて狭山湖(山口貯水池)・多摩湖(村山貯水池)が1927年(昭和2年)に完成し都民の水ガメになりました。 面白いのは、二つの湖に流れ込む河川は無く、多摩川の水を羽村取水堰で取り入れ、導水管で貯水池に導き、更に、東村山浄水場、境浄水場へと導かれImage2_2、都民の上水道になっています。
 なお、奈良橋の地名は都内で唯一の室町時代の神社「豊鹿島神社」に「文政元年(1466)武州多東郡上奈良橋郷」の記録があるそうですが村誕生の年代は不明です。きっと武蔵国の誰かが、万葉集に『あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり』とあるように、奈良のような繁栄を期待したのでしょう。そして、天正19年(1591)徳川家康が江戸に移ると、家臣に領地を与え村々の地頭として配属していますが、このとき村切りという方法で、奈良橋、蔵敷、芋窪、高木、後ヶ谷、清水などと強制分断されたものの、明治期からは大和村の中心地として発展しています。ただ、住民の意向を無視した村切りは後の世まで影響し、今も市長や市議会議員などの選出に尾を引いているそうです。Image8

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2018年3月25日 (日)

府中~奈良橋~所沢「奈良橋道」考

 昨年から、東大和市奈良橋に現場がありますので頻繁に向かう機会がImage6あります。
 最近ですが、たまらん坂がある「多喜窪通り(都道145号立川国分寺線)」を府中方向に車で向かいますと、府中市武蔵台3-1先の「武蔵台二丁目交差点」の左角に「奈良橋通り」の表示に気付きました。名称からして、この辺りから東大和市奈良橋方向に道があったと見て、少し走って見ましたが道は途切れて確認出来ません。そこで、地図で調べてみますと、やはり奈良橋につながる痕跡がありそうです。
 奈良橋の八幡神社東側の「奈良橋道(ならはしみち)」は「鎌倉街道」の伝承があるそうです。この辺りは、武蔵七党の一つ村山党の山口氏が治めた地域で、東村山市や武蔵村山市など名を残しています。山口氏の山口城は平安末期に築城されましたが、1590年の「小田原の役」で破れ、八王子城、小田原城と共に廃城となり、以後は徳川領となりました。しかし城は再建されず、今は所沢市山口1517所在のファッション市場サンキ所沢店の敷地ですが、奈良橋道は、きっと山口城辺りまで延びていたはずです。また古い道に、府中から足利方向に官道東山道武蔵路が延びていましたが、後に「鎌倉街道=府中街道」として整備されたようです。この官道の「駅」の一つに久米川があり、日蓮聖人が佐渡に流される際に一泊したと記録があるそうです。
 なお、『散歩の達人 2018年4月号 立川・国立・国分寺特集』では、「国立のたまらんらん♪雑貨巡り」、「今、谷保に人が集う理由」などが掲載されています。
■『迅速測図』 (明治前期測量の2万分1フランス式彩色地図) こちらで閲覧可能

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