03、 国立市界隈のこと

2018年9月11日 (火)

大坂なおみ選手が立川に来ますよ

 全米オープンテニスで優勝したばかりで、日本国内だけでなく、世界2018_9_1600000526c7が注目する大坂なおみ選手(日清食品)が、もうすぐ、国立の隣町・立川に来るそうです。日本のテニス史上初の4大大会で女子シングルス優勝を果たし、世界ランキングも19位から自己最高の7位に浮上しています。
 日本に凱旋する大坂なおみ(20才)選手が出場予定の、「東レ パン パシフィック オープンテニス2018」は、アリーナ立川立飛で予選は9月15日(土)と9月16日(日)に開催、9月17日~23日は本戦です。今や、日本を代表するトップアスリートとして、世界も注目するほどですから、チケットは完売しているようですが、宿泊先や会場の出入り口辺りでは一目見ようと混雑するはずです。
 立川市は、昭和初期から、軍事施設や軍需工場が集中し、終戦後も進駐軍に接収され、数々の不利益を被った期間もありましたが、全面返還後は、多摩モノレールの開業、国営昭和記念公園や昭和天皇記念館の開設、裁判所、市役所、警視庁、消防庁、海上保安庁などの官庁、その他商業施設が集中する街に変貌しています。
 「アリーナ立川立飛」は去年完成したばかりで、収容人数は3275人。バスケットボールやバレーボール、フットサル、バドミントン、卓球などの大会も可能のようです。かつて、ある立川市会議員が「サッカー等の国際大会が開催出来る施設が欲しい」と語っていましたが、果たして具体的計画はあるのでしょうか。
東レ パン パシフィック オープンテニストーナメント 2018Image
●開催日時
 <本戦> 2018年9月17日(月・祝)~23日(日・祝)
 <予選> 2018年9月15日(土) ~16日(日)
●会場 アリーナ立川立飛・ドーム立川立飛
●所在地  東京都立川市泉町500番4
●関連リンク
公式ホームページ

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2018年8月 7日 (火)

明からの「ラーメン」伝来に想う

 最近では、天ぷら、カレー、寿司などと共に国民食に成長したラーメンの話題です。00000255n773
 まず、室町時代の資料に京都の僧侶が来客に中華麺を振る舞った記述が発見されたそうですが、具体名としては、朱舜水(しゅ・しゅんすい)が調理し水戸光圀公が最初に食したとされます。
 時代背景として、漢民族の国「」は1659年に、異民族の満州族(女真族)の「」から侵略されて滅亡しますが、その直前、長崎に亡命したのが、明の儒学者の朱舜水(しゅ・しゅんすい)(1600年11月17日~1682年5月24日)でした。その数年後、65歳の朱舜水は水戸藩の水戸光圀(水戸黄門)に招かれて江戸で生活することになります。そして、日本史を調べていると、日本の統治者は天皇であると結論づけて光圀に伝えます。これが光圀が「大日本史0000832_1357」編纂と水戸学の基礎を固めたキッカケとされます。つまり、朱舜水は、水戸藩中屋敷(現・東京大学農学部)内で生活し、徳川光圀の先生として厚遇され、水戸藩士の思想に大きな影響を与えています。
 前置きが長くなりましたが、朱舜水が江戸で生活していた当時、中華麺を調理して、光圀に献上したのが、日本におけるラーメン史の始まりとされます。このことは、光圀の生活振りや世相を記した皆如院日乗上人の「日乗上人日記」に残され、横浜のラーメン博物館には、このときのレプリカも展示されています。また、水戸市では「水戸藩らーめん」を再現したラーメImage1ン店も数店あり、都内でも、三鷹市下連雀7-9-4「杏苑 (きょうえん) 」で提供していますから、そのうち、どんなものか出かけたいものです。いずれにしても、カレーはインド、ラーメン豆腐は中国、テンプラカステラはポルトガルからなどが外国から伝来していますが、全てが日本流に洗練されて味もアップしていると思われます。

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2018年7月31日 (火)

牛丼屋の「うな丼」に想う。

 明日、8月1日は土用の丑の日ですから、この暑さを乗り切るために、好物のMainimg_imgうな丼」を食べたいと思っています。それにしても、平賀源内(1728~1780)による「本日土用丑の日」というキャッチコピーは見事です。ただ最近では、鰻専門店の四千円もする「うな重」では贅沢ですので、もっぱら、吉野家・すき屋、松屋などの牛丼屋の千円前後のものです。今年も、それぞれ食べていますが、個人的には「すき屋」のうな丼が好みです。
  すき家はホームページで、
 うなぎは主に中国の福建省や、広東省で養殖されたものを使用しています。
(1)養殖場の選定、エサの選定、養殖、加工、輸入、運送などを全て自社の管理下で行っています。すき家のうなぎは主に中国の福建省や、広東省で養殖されたものを使用しています。養殖場は農薬が飛散する可能性があるため近くに農場がないこと、土壌に残留農薬がないことな0002015_80_2どの基準により選定しています。
(2)水にこだわっています
 きれいな水はうなぎの病気を防ぎ、健康でおいしいうなぎを育みます。そのために水の管理を徹底し、健康なうなぎを育てています。
(3)抗生物質等医薬品も厳重に管理しています
 薬を使う場合は決められた方法で使用して、使った場合は全て記録し、検査を重ねて安全性を確認しています。

と広報していますから、信頼したいものです。
 【2018年の土用の丑の日
 1月21日、2月2日、4月27日、7月20日、8月1日、10月24日、11月5日
  2018年は夏に土用の丑の日が2回あります。
 7月20日(金)を「一の丑」、8月1日(水)を「二の丑」と呼ぶそうです。

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2018年7月11日 (水)

多摩の分水嶺と玉川上水掘削に想う

 運河・水路のコース取りや鉄道の線路敷設では、当然ですが、山や崖線などの凸凹・勾配000_img201を苦手とする共通点があります。
 先日、都心に用があり久々にJR中央線(甲武鉄道)を利用する機会がありました。改めて気付いたことは、立川~新宿間は殆どが高架になったのに、国立~国分寺駅辺りは切通しの谷底を走っていることです。その理由は、騒音防止効果のためと誤解していたのですが、実際は、高低差が10m以上もある国分寺崖線(段丘崖)を安全に走行するためでした。少し考えれば分かることで、鉄道は凸凹を上り下りすることが苦手であり、出来るだけ線路を水平にするために、高い場所ではトンネルや切通しで、また、低い地面は盛土、河川は鉄橋で対応しています。
 ところで、玉川上水の水路取りも似たような局面に幾度も遭遇しています。
 工夫をした痕跡は今も随所に残っており、拝島近くの「水喰らい土公園」、玉川上水旧堀跡として史跡に指定された「加美上水公園」、立川断層を避けるため迂回した立川市砂川町の「大曲」などに見られます。
 また、玉川上水の水路は、武蔵野台地の分水嶺を上手に使って流しています。000_tama01_map
 分水嶺 (分水線)とは、雨水が異なる水系に分かれる場所のことで、玉川上水は、西武拝島線・玉川上水駅辺りから三鷹辺りまでの北側の奈良橋川などは荒川方向に、南側の野川、仙川などは多摩川に流れています。更に、三鷹からの下流域では、北側は石神井川や神田川、南側には、目黒川、渋谷川が流れていますが、その分水嶺を利用しています。
 この尾根筋を自然流下することで、まず江戸城を目標とし、その分水網は、品川・世田谷、或いは、八丁堀、霊厳島辺りの江戸の街の隅々に生活用水を見事に届けています。
 この難工事に挑戦した玉川兄弟や先人の驚異的な測量技術は勿論、江戸の発展に長く貢献した玉川上水は、世界遺産登録に十分な価値があると思っています。
「玉川上水」世界遺産登録に期待: 大日建設の社長日記

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2018年3月30日 (金)

奈良橋に「奈良橋」は無かった

 東大和市奈良橋の奈良橋川空堀川に挟まれた位置Image6に社有物件が数棟有りますので、近くの橋の名が気になりました。つまり、奈良橋川に架かる奈良が地名になったとばかり思っていたのです。近くだけですが橋名を調べたところ、八幡橋、日月橋、元村山橋、熊野前橋などはありましたが、奈良は見つかりませんでした。
  さて、東京の西方・奥多摩の山間部から流れ出た多摩川は、何度も氾濫を繰り返して土砂を運び出して武蔵野台地という扇状地を形成しました。ところが狭山丘陵は多摩川が削り残したように台地にポツンと島状に残り、そして二つの丘陵の間に谷が形成され、その谷をせき止めて狭山湖(山口貯水池)・多摩湖(村山貯水池)が1927年(昭和2年)に完成し都民の水ガメになりました。 面白いのは、二つの湖に流れ込む河川は無く、多摩川の水を羽村取水堰で取り入れ、導水管で貯水池に導き、更に、東村山浄水場、境浄水場へと導かれImage2_2、都民の上水道になっています。
 なお、奈良橋の地名は都内で唯一の室町時代の神社「豊鹿島神社」に「文政元年(1466)武州多東郡上奈良橋郷」の記録があるそうですが村誕生の年代は不明です。きっと武蔵国の誰かが、万葉集に『あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり』とあるように、奈良のような繁栄を期待したのでしょう。そして、天正19年(1591)徳川家康が江戸に移ると、家臣に領地を与え村々の地頭として配属していますが、このとき村切りという方法で、奈良橋、蔵敷、芋窪、高木、後ヶ谷、清水などと強制分断されたものの、明治期からは大和村の中心地として発展しています。ただ、住民の意向を無視した村切りは後の世まで影響し、今も市長や市議会議員などの選出に尾を引いているそうです。Image8

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2018年3月25日 (日)

府中~奈良橋~所沢「奈良橋道」考

 昨年から、東大和市奈良橋に現場がありますので頻繁に向かう機会がImage6あります。
 最近ですが、たまらん坂がある「多喜窪通り(都道145号立川国分寺線)」を府中方向に車で向かいますと、府中市武蔵台3-1先の「武蔵台二丁目交差点」の左角に「奈良橋通り」の表示に気付きました。名称からして、この辺りから東大和市奈良橋方向に道があったと見て、少し走って見ましたが道は途切れて確認出来ません。そこで、地図で調べてみますと、やはり奈良橋につながる痕跡がありそうです。
 奈良橋の八幡神社東側の「奈良橋道(ならはしみち)」は「鎌倉街道」の伝承があるそうです。この辺りは、武蔵七党の一つ村山党の山口氏が治めた地域で、東村山市や武蔵村山市など名を残しています。山口氏の山口城は平安末期に築城されましたが、1590年の「小田原の役」で破れ、八王子城、小田原城と共に廃城となり、以後は徳川領となりました。しかし城は再建されず、今は所沢市山口1517所在のファッション市場サンキ所沢店の敷地ですが、奈良橋道は、きっと山口城辺りまで延びていたはずです。また古い道に、府中から足利方向に官道東山道武蔵路が延びていましたが、後に「鎌倉街道=府中街道」として整備されたようです。この官道の「駅」の一つに久米川があり、日蓮聖人が佐渡に流される際に一泊したと記録があるそうです。
 なお、『散歩の達人 2018年4月号 立川・国立・国分寺特集』では、「国立のたまらんらん♪雑貨巡り」、「今、谷保に人が集う理由」などが掲載されています。
■『迅速測図』 (明治前期測量の2万分1フランス式彩色地図) こちらで閲覧可能

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2018年2月20日 (火)

国立駅北口 2月28日から一方通行

 JR国立駅北口の東側道路(市道北第1号線)の一方通行00kitaichigo(東向き)を、平成30年2月28日(水)午後1時頃から実施するそうです。個人的には、この辺りには余程の用事がない限りクルマで行くことがありませんので支障はないのですが、お客様に道順を教示する際や、使用中のカーナビに狂いが出ますので、それなりの知識と準備が大切と思います。
 JR国立駅周辺道路は、何かと使い勝手の悪さを指摘されていますが、早く隣の立川駅のように歩行者と自動車の通行を分離したペデストリアンデッキの設置や、南北を結ぶ地下道路、或いはアンダーパスを採用して弱者に優しい安全・安心の街づくりを目指して欲しいものです。

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2017年12月17日 (日)

「柿が赤くなれば医者が青くなる」

 富有柿、次郎柿、庄内柿、御所柿など、今年の秋も随分と柿の味を堪能させて頂き、お陰様で医者知らずで年を越しそうです。00485
 最近では余り喜ばれない柿ですが、日本の果物の中では最も古い部類だそうで、かつては、何所の家でも飢饉等の食料不足に備えて、何本かの柿の木を植える習慣があったようです。しかし、最近ではその名残りのように、国立市の谷保界隈に限らず多摩地域などの古い農家の屋敷には赤く色づいた柿の木が目立つのですが、そのまま放置され、鳥の餌にされている柿の木も少なくありません。
  面白いことに、柿は英語で「persimmon(パーシモン)」ですが、学名は「Diospyros kaki(ディオスピロス・カキ)」と言う日本語が由来で、意味は「Dios=神」「pyros=穀物」で「神様の食べ物」だそうですから有り難いことです。また、安倍総理がトランプ大統領に50万円のドライバーをお土産にしたことで注目された山形県酒田市の「本間ゴルフ」は、かつてプロ仕様のパーシモンウッドで一躍有名になっていましたので、地元の庄内柿材あたりを使っていると思いきや、主にカナダからの輸入材だそうです。
 昨日は近所の八百屋で、今年は最後の仕入れだという富有柿を買い求めていますので、少しは柿のことを想いながら、「神様の食べ物」を堪能しているところです。

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2017年10月14日 (土)

10月14日は「鉄道の日」です。

 今日は、早朝から出かける都合から、ブログ更新の時間が御座いま000001lせんので、一昨日更新した内容をそのままトップに移動しております。それは、ある会合で鉄道の日に若干なり触れた挨拶をする予定だからです。
 今日10月14日は、145年前の明治5年、西暦1872年(語呂>いや何より鉄道だ)に、新橋~横浜間で鉄道開業を記念する「道の日」です。先日、10月7日は隣接の国分寺市・鉄道総研で平兵衛まつり2017が開催されましたが、元々は10月14日の「鉄道の日」の行事でした。さて、「長州ファイブ」の一人「井上勝鉄道の父」とされ、同時に佐藤政養も「鉄道の父」と称されています。理由は、佐藤政養は初代「鉄道助(次官)」を務め、その時の「鉄道頭(大臣)」が井上勝だったことで、共に鉄道開通に尽力されたことを468_2_2讃えています。ここでは政養に少なからず縁を感じておりますので多く触れておきます。
 私の兄弟は京都で会社を経営していることから、京都には度々出掛けるのですが、数年前、京都市東山区常盤町468−2先「渋谷街道(渋谷越)」の裏手に、源義経の四天王佐藤継信(つぐのぶ)・忠信兄弟之塚があるので参拝したのですが、その近くに「佐藤政養招魂碑」の所在を知ったのです。この碑の土地は、政養が京都在任中に先祖ゆかりの地として買い取り、没後に夫人が建立したそうです。
 なお、佐藤政養は山形県遊佐町升川の出身で、郷里近くにも銅像や碑があるそうです。また、同じ升川は藤沢周平著の実話「義民が駆ける」で庄内藩転封阻止の主役・佐藤藤佐(とうすけ)の出身地でもあり、その長男は順天堂病院の創立者・佐藤泰然と知りました。今春、偶然にも、この遊佐町出身のお客様が来られ、隣接の鉄道総研のことや、鉄道の父・佐藤政養の話題などから意気投合した次第です。因みに、日本で鉄道敷設のキッカケは、1855年にペリーが二度目の来訪時に江戸幕府に贈った鉄道模型からと言われ、開業には英国の技術者を雇っていたとは言え、17年後の明治5(1872)年には新橋~横浜間で開通させたのですから驚くべきことです。この「佐藤継信・忠信之塚」や「佐藤政養招魂碑」は、京都市東山区常盤町468−2「京都 とうがらしおじゃこ かむら」や、東山警察署の渋谷交番(京都市東山区上馬町536−3)が目標です。

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 義経の四天王とされる佐藤兄弟の兄・継信は屋島合戦で義経の楯となって戦死。弟・忠信は吉野山中に逃げこんだ義経一行が追手に囲まれた時、義経は佐藤忠信に自分の鎧と「源九郎義経」の姓名を名乗らせ、靜御前の供を言いつけ落ち伸びる話が知られています。
 佐藤政養は、新橋・横浜間を開通させた後、福井から京都間に鉄道敷設計画で赴任中に、自分のご先祖と伝えられる佐藤兄弟の荒れ果てた墓を知り、その土地を買い取り供養しています。きっと佐藤政養は、義経の四天王と言われながらも、影武者のように散った二人に身を重ねたはずです。それから百数十年、やはり顧みる人もなく荒れていたこの土地を、2012年、佐藤政養の故郷の遊佐町が政養顕彰のため土地を購入しています。

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2017年9月15日 (金)

「インド人もビックリ」新幹線建設

 我が社の隣には、鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)がありますが、ここで新幹線「ひか2017915image222り号」が開発されたことから国分寺市光町(ひかりちょう)と言う町名が名付けられました。その新幹線が開発されてから50数年、今や台湾や中国にも輸出され、今回はインドから受注され、9月14日に起工式が行われていました。日本の物づくりの象徴と言われる新幹線技術は、最新技術の固まりとされますが、昭和33年の開発当初は、戦闘機「零戦」や特攻兵器「桜花」などの軍事技術が随所に使われ、デザイン、速度アップ、振動を押さえる工夫などをしてImage4_2いました。
 訪印中の安倍晋三首相は9月14日、インド西部グジャラート州アーメダバードで、日本の新幹線方式を導入したインド高速鉄道の起工式にモディ印首相とともに出席し、インドでの新幹線建設が2023年の開業を目指して動き始めました。日本は、インド国民軍を編成しインド独立に貢献したことで感謝されていることや、東京裁判ではインド代表のパール判事の「日本無罪論」を主張したことなどから、お互いに好印象を持っているようです。この新幹線も、国と国をつなぐ架け橋として大きく貢献するはずです。かつて、日本のカレーライスを食べたインド人は、あまりの美味しさに「インド人もビックリ!」と飛び上ったそうですが、きっと、日本が世界に誇る新幹線技術にも同じように驚くことでしょう。
地名「光町」の由来は新幹線「ひかり」: 大日建設の社長日記Dainichi_image

昭和の時代の新幹線構想 https://youtu.be/MV50hvlhc-Y

【これは凄すぎる】外交中の安倍首相が9kmに及ぶパレードで大歓迎される。外国首脳初の異例な大歓待に一見の価値あり!
  https://youtu.be/S0bfNGQq6jE

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