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2018年7月 9日 (月)

オウム「遺骨奪還計画」に想う。

 7月6日、死刑執行された松本元死刑囚の遺体は府中市多磨町2丁201879_image1目の「日華斎場」へと運ばれ、その後、一旦は拘置場に戻った後に四女に引き渡されると報じています。そして、遺族間や信者らによる遺骨の奪還のおそれや、釈迦の入滅後に遺骨が仏舎利とされたことと同様になるのではと注目されています。
 遺骨の行方がこんなに注目されることは、昭和23年12月23日、東京裁判で絞首刑となったA級戦犯の7名以来でしょう。東條英機元首相や廣田弘毅両元首相ら7名は、巣鴨刑務所で刑が執行された後に、2台のトラックで横浜の久保山火葬場へ運ばれています。「A級戦犯の遺骨奪還」を計画した三文字正平弁護士は、何としても7人の遺骨を家族へ返そうと計画を練っていました。まず、久保山火葬場に近隣する興禅寺の市川伊雄住職を通じ、火葬場の責任者・飛田美善場長の協力を得ています。そして、火葬直後に飛田場長は密かに7人全員の遺骨を少量ずつながら集めることに成功します。ところが米兵に発見され、遺骨は無残にも粉々にされ、骨捨て場に投げ棄てられました。それでも、三文字弁護士と市川住職は諦めず火葬場へ侵入し、7人分が混ざった遺骨を拾い上げ、翌24年、静岡県熱海市伊豆山の「礼拝山興亜観音」に持0002853_11ち込み弔っています。
 結局、昭和35年に、ようやく、愛知県三河湾国定公園の三ヶ根山山頂に「殉国七士墓」が造営され、興亜観音から分骨しています。その後、昭和54年、昭和天皇皇后両陛下は愛知県下の植樹祭に御出席の際に、三ヶ根山 (さんがねさん)の「グリーンホテル三ヶ根」に宿泊されますが、公務当日の朝、両陛下は殉国七士廟の方角へ向かって20分以上も不動であったとされます。今日の報道から、A級戦犯の汚名を着せられた方々と、同列に語ったことは甚だ失礼と思っております。

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コメント

 西日本が豪雨に見舞われているのに政府の初動が遅いことの方が気になるが、件の遺骨の扱いについては執行前に四女引き渡しの意向が当人より伝えられ、それが遺言と同等の効力を有するとなれば、たとえ生前、妻に引き渡すように伝えていたとしても、後に出された遺言の方が有効であるものの、当の四女側は身の危険を感じるとして引き渡しを拒否しているところで、
 そろそろ仏舎利と言えば、釈迦の最後の姿勢、すなわち「北枕」にして「西方浄土」の方を向く「涅槃」は、釈迦の「死因」と関係していると言われ、諸説あるが釈迦は「食中毒」で死亡したと言われ、著名人では徳川家康も天ぷらによる食中毒で死亡しているが、釈迦の「最後の晩餐」は信者から供された(1)豚肉料理、(2)キノコ料理、(3)毒キノコ料理のいずれかと考えられており、(3)を悪意でやったとしたらキリスト教のユダと同じ裏切り行為だが、(1)についてはそもそも釈迦自身は肉食禁止に反対しており、仏教の中でも精進料理などで肉食を禁じているのは北方に伝わったうちのごく一部の宗派とされるものの、当時のような冷蔵技術などない時代にただでさえ高温のインドや中東地域で豚肉を食するのは衛生上危険な行為であることが他ならぬイスラム教で豚肉をタブーとしている本来の由来であるが、件の「涅槃」の姿勢を取ると、胃から腸への食物の流れが重力に逆らわず消化に良い上に、心臓が高い位置に来るので血行も良くなり、本来は健康に良い姿勢なのであるが、もしそれが縁起が悪いということであれば、点対称である「南枕」で「日が昇る東側を向く」姿勢を取っても同じことであり、御社も住宅物件設計時に誤って寝室を北枕で作ってしまったということがないよう(特にロフト形式とか、ベッドを造り付けにする場合など)注意が必要であることにも言及頂くと共に、仏教と言えば先祖供養であり、本来それが目的の盆踊り大会の今夏の国立市内の開催スケジュールが既に公表されていることにも言及頂きたいかと…。
http://kunimachi.jp/topics/bonodori2018/

投稿: | 2018年7月 9日 (月) 13時03分

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