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2018年7月12日 (木)

潜水艦・佐久間艇長の遺書に想う

 11日、タイの洞窟から少年らが、パニックにならずに全員が無事救出されまし00020180703oた。
 仏教国・タイの洞窟で6月23日から不明だった少年12人とコーチが9日後の7月2日に発見されると救出作戦が開始され、7月11日まで全員を救出しました。しかし、ダイバーのサマン・クナン氏(38)が酸素タンクを運ぶ途中で死亡したことは残念でした。また、コーチで10歳から僧侶経験のあるエッカポル・ジャンタウォンさん25歳が少年らを落ち着かせるため瞑想を指導したり、子供達に優先して食料を分配させたことで一番衰弱していると報じています。そう言えば、発見時に子供達が整然としていたことは、この瞑想の効果だったのでしょうか・・・・
 これらのことから、吉村昭著の「伊号潜水艦浮上せず」や、足立倫行著の「死生天命 佐久間艇長の遺書」で知ったことを思い出しています。0000253100923
 この話は昭和19年、瀬戸内海由利島沖で急速潜行訓練中に沈没。昭和28年に9年ぶりに引揚げた潜水艦伊号三三潜水艦」のことでした。引き上げると、後部電動機室内から遺書の束を発見。浸水が始まり死を覚悟する中で、各人が身内に遺書を記して、整然と死を迎えていたのです。関係者は、乗組員が集団パニックになっていると予想していましたが、乗組員14人のうち12人は所定配置場所で絶命。所定位置にいない2人は、破損箇所で死亡しており、最後まで修理に当たっていた状況でした。更に、佐久間勉艇長は、最後の瞬間まで事故の原因と乗組員遺族への配慮を求める遺書を残しております。Sakuma_img_1
  以下、その遺書を抜粋致します。
 「小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、我れ等は国家のため職に倒れ死といえども、ただただ遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり」、「願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく、将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を。さすれば我れ等一つも遺憾とするところなし」
「沈没の原因。ガソリン潜航の際、過度探入せしため、スルイスバルブを締めんとせしも、途中チエン切れ、よって手にて之を閉めたるも後れ、後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり」、「沈据後の状況。一、傾斜約仰角十三度位 一、配電盤つかりたるため電灯消え、電纜(でんらん、ケーブルのこと)燃え悪ガスを発生、呼吸に困難を感ぜり。十四日午前十時頃沈没す、この悪ガスの下に手動ポンプにて排水につとむ」、「一、沈下と共にメインタンクを排水せり。灯り消えゲージ見えざるども、メインタンクは排水し終われるものと認む」、「電流は全く使用するにあたわず、電液は漏れるも少々、海水は入らず、クロリンガス発生せず、残気は五百ポンド位なり。ただただ頼むところは、手動ポンプあるのみ。ツリムは安全のためヨビ浮量六百、モーターの時は二百位とせり。右十一時四十五分、司令塔の灯りにて記す」、「溢入の水に侵され、乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば、その発展を望むべからず。細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり。世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、されど我は前言の誤まりなきを確信す」、「一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは底止して動かず、この辺深度は十尋(ひろ)位なれば、正しきものならん 一、潜水艇員士卒は、抜群中の抜群者より採用するを要す。かかるときに困る故、幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思ふ」、「我れは常に家を出ずれば死を期す、されば遺言状は既に『カラサキ』引き出しの中にあり。(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ、之を愚父に致されよ)」
「公遺言 謹んで陛下に申す。我が部下の遺族をして窮する者無からしめ給わらん事を、我が念頭に懸かるもの、これあるのみ。右の諸君によろしく。一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将」 「(気圧たかまり鼓膜破らるる如き感あり)一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜) 一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)一、船越大佐、一、成田綱太郎先生 一、生田小金次先生」
「十二時三十分、呼吸非常に苦しい。ガソリンをブローアウトせししつもりなれども、ガソリンにようた。一、中野大佐 十二時四十分なり……」

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01、個人的に関心を持った話し」カテゴリの記事

コメント

 今回のタイ洞窟遭難事故の件は少年らが無事救出されたとは言え、ダイバーが1人犠牲になっており、映画化の話もあると言っても美談とするには疑問を呈さざるを得ないが、そもそもこの少年らがこの洞窟に入る「必然性」があったか?であり、これが洞窟内の学術調査で入った一行が遭難したと言うのならまだしも、サッカーチームとのことであるし、練習中や練習後の帰宅時に突然の雨に遭い、雨宿りに入った所がその洞窟だったというわけでもなく、これを百歩譲って「子供なんだから洞窟内を探検したいと言う好奇心があって当然」との意見を聞き入れたとしても、それと国防の任に殉じた佐久間艇長とを同列に論ずることには違和感を禁じ得ないところで、
 そろそろこの「必然性」ということで言えば、単なる党内の内輪の飲み会を、いくら首相が出席して楽しかったとは言え、それをツイッターにて党外の「全世界」にまで公開する「必然性」があったか?であり、西村議員は昨日になってやっと不手際を詫びたがもはや時遅く、片山議員に至ってはまだ「自分がやったことは正しい」と思っているようであり、これではあの記念写真に収まった議員面々が被災地に視察に来ても「本心ではなく、批判をかわすために仕方なくやって来たんだろう」と思われるだけであり、御社にしたって例えば杉山社長が施主に竣工が遅れる旨を詫びに行った帰りにまっちゃん辺りで社員と飲みに入り、その模様を社員が「社長もご機嫌で楽しかった」などとツイートし、そのツイートをその施主が見たらどう思うか?いくら勤務時間外のこととは言え、誠意を欠いていると感じずにはいられないのではないかといったことにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2018年7月12日 (木) 09時45分

「駟も舌に及ばず」とは失言はとりかえしがつかないという意。また、「後悔先に絶たず」とは、終わった後でいくら悔やんでも取り返しがつかないことです。少し想像力を働かせれば分かることですが、調子がいい時や飲酒しているときなどは、その想像力を失ってしまう典型なのでしょう。
 なお、佐久間勉艇長を讃えたことは、戦前の日本人の覚悟のほどが伝わったからであり、また、仏教国・タイの国民にも、この精神の下地は今もあると思われたのです・・・

投稿: 大日建設(株) | 2018年7月12日 (木) 10時14分

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