« 「イエスかノーか」と迫るのか | トップページ | トランプ大統領の英雄伝説誕生? »

2018年6月10日 (日)

袈裟を身に付ける精神は何処に

 袈裟のルーツは天竺(インド)で死体をくるんだ布とされ、そKesa_imageれも、最下層身分の遺体を包んでいた糞掃衣(ふんぞうえ)と言うボロ布だそうです。由来は、釈迦族の王子・釈尊は、バラモン教下のカースト制度で最下級の僧侶として出家しますが、このボロ布を洗い縫い直して着たとされます。これは、厳しい修行に入るには、頭をまるめて袈裟で身を包むことで、身を飾る一切を捨てる覚悟を表現したのでしょう。そして、鉢を携えて施を受ける托鉢で最低生活から、貧困や飢餓、差別、迫害に喘いだ民と同じ目線で、生・老・病・死(しょうろうびょうし)など、人間の苦しみに四苦八苦しながら厳しい道を歩んだはずです。
  最近、友人が古くから付き合いのある名高い寺院の僧侶数名とゴルフに行く機会があったそうです。ところが、その僧侶たちのベンツやセルシオなどの高級車や一級品のゴルフセットに驚くとともに、食事のときの会話が、次の法事・法要・葬儀、最近のお布施・戒名の額などの話題が中心だったことに更に驚いたそうです。また、別の知人の奥さんの実家は大きな知られた神社だそうで、結婚してからも、お守りや御札などを造るアルバイトを長年やっており、「こんな作り方でご利益あるの・・・」と夫婦で語りながらも随分稼いだそうです。
 このように、近年は何を勘違いしたのか、大寺院や神社に勤めて、高価な袈裟や神職の装束に身を包み、仏像・宝物などに価値を求める風潮が目につきます。中には、寒村地で檀家や氏子等の減少から質素な生活を強いられる地域も聞きますが、有名どころの神社・仏閣の殆どは観光地化され、参拝料金や御払いの他、お守り、御朱印などは飛ぶように売れ、それも無税と言われます。きっと、このような神社や寺院で救われているのは民衆ではなく、そこの僧侶や神官、職員ら関係者、また近所の売店や飲食店、旅館、駐車場、或いは、寄付を受けた自治体だけに見えます・・・・
仏教の本質 哲学者「中村元
https://youtu.be/NWZtkxP3eGg

|

« 「イエスかノーか」と迫るのか | トップページ | トランプ大統領の英雄伝説誕生? »

11、宗教のこと。」カテゴリの記事

コメント

  まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「仏作って魂入れず」の諺を想起させるが、それはさておき、仏教界の堕落は何も今に始まったものではなく、鎌倉時代にはとうとう本来戒律で禁じられているはずの妻帯と肉食を教義上許可した浄土真宗が成立した一方で、こうした風潮に真っ向から否を唱え、法華経以外を信ずると国難に遭うといういわば仏教原理主義を説いたのが日蓮なのであって、ちょうど免罪符の販売等で堕落したキリスト教界に真っ向から否を唱えたとマルティン・ルターと同様、両者は「宗教改革」なのであるところで、そろそろ金持ちがベンツなどの高級外車に乗りたがるのは金持ちとしてのステイタスや見栄などではなく、専ら節税対策であり、すなわちこれら高級外車を会社の「車両運搬具」として営業にも用いれば、収入が高くても必要経費が増えて所得が減るわけであり、所得税は当然所得に対してかけられるのであるから安く済み、他にも家族経営の会社などは家族でファミレスで食事しても「会議費」として経費計上してしまい、こうした「高収入低所得」が実現されてしまった結果、公立保育園の入園も親の所得で決まるものだから、本来保育園に入れるはずの貧困層が外れ、ベンツで送り迎えするような家庭が当選してしまうといったことになっていることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2018年6月10日 (日) 22時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2101431/73508515

この記事へのトラックバック一覧です: 袈裟を身に付ける精神は何処に:

« 「イエスかノーか」と迫るのか | トップページ | トランプ大統領の英雄伝説誕生? »