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2018年6月 5日 (火)

我が社も「建築三昧43年」です。

 最近、女性初の報道写真家・笹本恒子さん(103歳)のことが話題になっていましたSasamoto_2018
 笹本さんが初めてカメラを手にしたのは26歳と言いますから、現役生活77年です。また、70年以上も生涯現役の医師を貫き105歳で亡くなった日野原重明氏もおられますから、「建築三昧43年」と語っても、とてもかないません。何事も「石の上にも三年」、或いは「3日、3月、3年は続けなさい」などと諭し、結果として「継続は力なり」「辛抱する木に金がなる」と教えられます。
 仏教の総合大学とされる比叡山には、三大地獄行回峰地獄掃除地獄看経地獄)があると聞きます。「動」の荒行である無動寺の千日回峯行(回峯地獄)はマスコミも注目しますが、他に、「静の荒行」と呼ばれ、目立ちませんが横川の「看経行(かんきんぎょう)」は、朝から晩まで三年間、明けても暮れても途切れずに読経三昧の修行で、日蓮もこの修行をしたそうです。00000fcff
 これよりも厳しい荒行とされるのが、浄土院の 籠山行(掃除地獄)だそうです。
 籠山行は、伝教大師が今も生きているようにお仕えする侍真(じしん)という役目で、12年間毎日、寺院内外に埃一つ残さない掃除三昧で、食事は伝教大師にお供えしたお下がりだけで、且つ、俗界から隔離された12年間の途中に病気になっても医師に診せることも出来ないので、現在まで117名が挑戦し、内26名が途中で亡くなったそうです。平成9年に修行に入り平成21年で満行した宮本祖豊(そほう)さんは、「私は修行という形で自分の心を磨くという形を取りましたけれど、一般の方はそれは出来ません。では、どうするのか?それは自分の仕事を通して心を磨いていくことです」と語っています。
 私が仕事に選んだ建設業や不動産業も、長年続けることで愛着が生まれ、見えなかったものが見えて来たり、試行錯誤を繰り返すことで、ある程度の自信と実績を残す元になったはずですから、宮本さんが語る通りと思っています。

十二年籠山行
 
   https://youtu.be/-wuqc8dBqMI  

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コメント

  御社の43年の歴史のうち、30年間は平成時代であるが、それはさておき、創業の昭和50年代は国立駅北口の今三浦屋さんのある所は鬱蒼とした森だったはずであり、光町通りを挟んで向かい側には白十字さんの北口店やゴルフの打ちっぱなしがあったはずであり、御社の現在地近辺はまだ中央線から鉄道総研への引き込み線が現役だった頃と思われ、隣の西国分寺には国鉄の中央鉄道学園もあったせいか国鉄官舎も建ち並び、スナック引込線などの飲み屋もあったはずであり、一方南口に目を転ずれば、ロータリーを囲んで中華料理の丸信さんや山口瞳先生も通ったというレストランふるさと、広東料理の蘭灯園などがあり、大学通りの京樽さんの隣り、今ナカガワファーマシーさんになっている所はウィンピーという英国のハンバーガーショップだったはずであり、さらに旭通りを進めば今マンションの建っている所に忘れちゃいけない国立唯一の映画館・国立スカラ座があったところで、そろそろこうした情報は、国立市の図書館へ行けばゼンリンの住宅地図のバックナンバーや『国立の名店』といったリーフレットから調べることができ、さらに平兵衛新田時代の資料であれば(商売敵であることを厭わなければ)光町通り(最近「新幹線通り」とも呼ばれるようになったが)の学園土地さんにそろっていると思われることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2018年6月 5日 (火) 12時56分

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