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2018年4月21日 (土)

「八十里 腰抜け武士の越す峠」

 福島・只見町出身者と新潟・魚沼市出身者が机を並べた職場があって、幕末Hokuetu_image2北越戦争のことを熱く語っていました。耳を傾けていますと、県は別でも魚沼と只見は隣接で六十里越(実際は六里)や八十里越(実際は八里)で結ばれ、昔から同じ文化圏として話題も共通していました。そして話が北越や会津戦争に及ぶと、魚沼の小出島(こいでじま)には会津藩の陣屋があって激戦の地となり、今も小出島陣屋跡(魚沼市諏訪町1-222)をはじめ、会津藩兵の遺骸を埋葬した正円寺(小出島952)、会津藩烈士之碑がある諏訪神社(四日町527)、会津藩菩提寺の萬行寺(中島1066) などからも、会津とのつながりは深いそうです。
 さて150年前の今頃、慶応4年4月11日(1868年5月3日)に江戸城が無血開城し、5月15日(7月4日)には上野・彰義隊を一日で蹴散らすと、薩長軍の次のターゲットはいよいよ会津方面に向いていました。当時、会津盆地に入るには五本の主要街道「二本松街道・白河街道・下野街道・米沢街道・越後街道」があって、薩長軍は、主に、白河口・日光口・越後口の三方から会津に迫っています。
 後に発刊された会津戦記等では、白虎隊の悲劇や二本松少年隊の奮戦、家老・西郷頼母家一族21人の自刃悲劇などからか、白河・二本松など、母成峠~猪苗代~若松の攻防戦の記述が多いようです。しかし、実際の激戦の地は北越戦争だったと聞きています。慶応4年(1868)7月25月、「武装中立」を目指していた長岡藩家老・河井継之助は、新政府軍の岩村精一郎と小千谷で談判するも決裂し開戦。ガトリング砲2門やエンフィールド銃などで二か月も奮戦するも長岡城は落城。しかし、河井継之助は約700名を率いて奪還作戦(八丁沖の戦い)を挙行し見事に成功するも、継之助は左膝を流れ弾で打ち抜かれ負傷し戦線を離脱。「八十里 腰抜け武士の越す峠」と自嘲の句を詠みつつ会津に逃る途中で破傷風が悪化し、只見町塩沢の医師・矢沢宗益宅で息を引き取ったそうです。
 只見出身の方は宗益医師の親戚筋だそうで、魚沼出身の方は、河井継之助のことは地元では殆ど無名だったが、司馬遼太郎が小説「」で有名にした。末裔は都内に在住し、かつては迷惑かけたと帰省を遠慮していましたが、最近では米百俵祭りなどの行事に参列していると語っていました。それでも戊申戦争当時のことを、昨日の如く語る様子からも明治政府等にわだかまりは深いと見ました。Image1

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01、個人的に関心を持った話し」カテゴリの記事

コメント

八十里越と言えば、現在は国道289号線が通っており、その甲子峠はかつて登山道に木の枝で国道標識が掲げられていたような有様で、まさに「酷道」であったが、今は甲子トンネルをはじめとする甲子道路ができており、酷道は解消されているところで、そろそろ一方、六十里越の方は道路の他、JR只見線が通っているが、2011年の新潟・福島豪雨により現在不通になっていることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2018年4月21日 (土) 11時30分

 「それにしてもこの峠の長大さは、どうであろう。樹海は眼下にあり、道は天空に連なって行く。 八十里こしぬけ武士の越す峠」は、司馬遼太郎の「峠」の一節です。
  「八十里越」は、司馬遼太郎の小説「峠」の舞台となったことでも知られ、小千谷市高梨町の信濃川「越の大橋」西詰めには小説「峠」の文学碑があるそうです。
 司馬遼太郎は『坂の上の雲』では、日本が日清・日露戦争で勝利するも「坂の上の雲」が掴めないほどに登りつめる日本を憂慮し、その先では日本が坂を転がるであろうことを示唆していました。また、小説「峠」は、その前段の幕末期をテーマにして、河井継之助の生き様に焦点を当てて時代を考察し、「峠」の先には新しい景色が開け、武士の世の終焉が待っていることを継之助の目を通して語っていたと思われます。それまで、殆ど無名だった越後長岡藩家老・河井継之助の名を、世間に広めたのはこの歴史小説でした。
 「八十里 腰抜け武士の越す峠」の句には、自分の惨めな姿と同時に、武士の世の終焉を示唆していたのでしょうか・・・。
 なお「六十里越 雪割り街道」)」の通行止め状況は、「4月2日からの春先除雪開始について」ttp://www.pref.niigata.lg.jp/uonuma_seibi/1356891681688.html
をご確認下さい。

投稿: 大日建設(株)杉山 | 2018年4月21日 (土) 12時57分

ちなみに「腰抜け」には「越(後)を抜ける」に掛けていることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2018年4月24日 (火) 05時29分

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