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2018年3月 5日 (月)

明治10年3月は「田原坂の戦い」の最中

 今年のNHK大河ドラマは「西郷どん」ですが、「江戸幕府、一夜むな(1867)しく崩れけり」から150年の節目からでしょう。昨日3月4日放送は「江戸のヒImage6ー様」で、島津斉彬に御庭番(密偵)として引き立てられた西郷隆盛がヒー様こと後の将軍・一橋慶喜との接点を描いていました。
 ところで、明治十年(1877年)3月は「田原坂の戦い」の真っ只中でしたが、この戦いが西南の役の分水嶺とされ、敗れた薩軍は南へ南へと敗走することになりました。そして西郷隆盛が鹿児島の城山で自刃の時、「おいどんは官軍に負けたのではない。清正公に負けたでごわす・・・・」と言ったとか言わないとか・・・・。城は三日で落とすと豪語していた西郷軍は、明治10年2月22日~4月14日まで熊本城を包囲し攻撃するも、加藤清正が築いた難攻不落の城を落とすことは出来なかったことや、ダラダラ坂と切り通しが続く天然の要害「田原坂(たばるざか)」の地形は、「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂・・・」と歌われています。特に3月4日~20日までの17日にも及ぶ田原坂の戦いは、日本人同士の最後の壮絶な戦いの舞台とされ、新政府軍(陸軍)を指揮した山縣有朋は苦戦の中、渋々ながら後方支援中の警視庁部隊から剣に覚えの警察官を選抜して警視庁抜刀隊と名付け、百十余名を以って刀だけで斬り込み膠着状態を打破したと言われます。
 ドラマ「西郷どん」での西南の役の場面は、きっと最終回になるはずです。なお、加藤清正公の墓は山形県鶴岡市(庄内藩)にあり、その隣町酒田市には南洲神社と「徳の交わり~南洲翁と臥牛翁」の銅像があることも面白いことです。

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コメント

その西南戦争に従軍した官軍には新選組の斎藤一をはじめ、戊辰戦争での幕府軍側の兵士だった者もおり、彼らは「戊辰の仇、戊辰の恨み」とばかりに西郷軍を打ち破ったところで、そろそろその西南戦争はアカデミー賞にもノミネートされた『ラストサムライ』のモデルにもなっているが、今日発表されたアカデミー賞では辻一弘さんがオスカーを受賞したことにも言及頂きたいかと…。

投稿: 西南戦争に官軍側に新選組の斎藤一 | 2018年3月 5日 (月) 13時02分

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