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2018年3月25日 (日)

府中~奈良橋~所沢「奈良橋道」考

 昨年から、東大和市奈良橋に現場がありますので頻繁に向かう機会がImage6あります。
 最近ですが、たまらん坂がある「多喜窪通り(都道145号立川国分寺線)」を府中方向に車で向かいますと、府中市武蔵台3-1先の「武蔵台二丁目交差点」の左角に「奈良橋通り」の表示に気付きました。名称からして、この辺りから東大和市奈良橋方向に道があったと見て、少し走って見ましたが道は途切れて確認出来ません。そこで、地図で調べてみますと、やはり奈良橋につながる痕跡がありそうです。
 奈良橋の八幡神社東側の「奈良橋道(ならはしみち)」は「鎌倉街道」の伝承があるそうです。この辺りは、武蔵七党の一つ村山党の山口氏が治めた地域で、東村山市や武蔵村山市など名を残しています。山口氏の山口城は平安末期に築城されましたが、1590年の「小田原の役」で破れ、八王子城、小田原城と共に廃城となり、以後は徳川領となりました。しかし城は再建されず、今は所沢市山口1517所在のファッション市場サンキ所沢店の敷地ですが、奈良橋道は、きっと山口城辺りまで延びていたはずです。また古い道に、府中から足利方向に官道東山道武蔵路が延びていましたが、後に「鎌倉街道=府中街道」として整備されたようです。この官道の「駅」の一つに久米川があり、日蓮聖人が佐渡に流される際に一泊したと記録があるそうです。
 なお、『散歩の達人 2018年4月号 立川・国立・国分寺特集』では、「国立のたまらんらん♪雑貨巡り」、「今、谷保に人が集う理由」などが掲載されています。
■『迅速測図』 (明治前期測量の2万分1フランス式彩色地図) こちらで閲覧可能

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03、 国立市界隈のこと」カテゴリの記事

コメント

むしろ関東地方の道路網形成に影響を与えたものは、時代が下って江戸時代に行われた大山講による「大山街道(大山道)」であり、現在の埼玉県春日部市や秩父地方、山梨県、静岡県などから大山阿夫利神社へと向かう道が整備された他、多摩川、相模川などは渡船場が設けられ、増水により川止めに遭うと宿場町が栄え、国立市近辺でも件の府中街道などは江戸時代は「府中通り大山道」の一部となり、中河原の渡しで多摩川を渡っており、新選組の近藤勇、土方歳三らもこの道を使って現在の町田市方面まで出稽古に通っていたと伝えられるところで、そろそろこの奈良橋道と府中街道との合流部付近にある国分寺市「黒鐘公園」は桜の花見によく使われるが、昨今、建設会社などが公園を占有して花見を敢行したりすると、その様子がSNSにより拡散され、企業に苦情が上がって企業イメージが悪化するといったことが起こっていることにも言及頂きたいかと…。
https://withnews.jp/article/f0160412000qq000000000000000W02t10201qq000013240A

投稿: | 2018年3月25日 (日) 13時13分

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