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2018年3月 8日 (木)

間もなく「鹿島立ち」するという

 4月から起業する方が、明日3月9日の「祭頭祭(さいとうさい)」に合わせて「鹿島・香取神宮」に参拝に行く話を聞きました。Katori_kasima
 数年前は、千葉県成田近くに住む方の息子さんが外国に長期派遣する際も、鹿島・香取に参拝したことを聞いていたのに「鹿島立ち」の慣習を聞き逃していました。「鹿島立ち」とは「すべての始まりの地」とされる茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)と千葉県鹿取市の鹿取神宮の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祈願することだそうです。古神道では自然が神であり、天照大御神は太陽の象徴、大国主命は大地の象徴、そして武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は太陽のパワーで万物を発展、成長させる神、また、経津主神(ふつぬしのかみ)は剣の霊、霊剣「布都御魂剣」の神格化した「」の神と言われています。この、鹿島神宮の武甕槌大神と香取神宮の経津主神が、この国を平定するときに鹿島から出発したことが鹿島立ちの語源だそうです。  
 関東の辺鄙な場所は、かつては天と海の間から日が立つ常陸国と呼ばれ、神宮が2社もあったことからも、太陽が昇る方位が重要と思われます。それに東北が蝦夷の地だった頃は、日本の東端で一番最初に太陽が昇る土地であることからも頷けます。それに、神宮の建物が無かった縄文の昔、更に昔の氷河時代から「東へ東へ」と温かい太陽に向かって日本列島に辿りついた人々は、列島の東の外れで何かを想ったはずです。そして、太陽のパワーと海岸の砂鉄で刀剣を造り、ここから国の平定に向かったことも想像できます。現代でも、成田空港から飛び立った飛行機が、香取・鹿島神宮の上空付近を飛ぶ様子からも「鹿島立ち」を意識して飛行場の位置を決定したのでしょうか。また、武道場の神棚には「鹿島・香取神宮」の御札を祀るそうで、警察の朝稽古では、この神棚に拝礼することで毎日が「鹿島立ち」の決意で仕事に向かう話しも聞きました。上には上があるものです。

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コメント

元々「鹿島立つ」は、西国へ行く防人が道中の無事を祈って鹿島神宮に参拝したことから「(戦いに向けての)旅立ち」の意味であり、地元のサッカーチームである「鹿島アントラーズ」も鹿島神宮で祈願しているところで、そろそろ鹿島神宮の近くには霞ヶ浦があり、そこにかつて土浦海軍航空隊が立地し、「七つ釦は桜に錨」の予科練があったこともそれとは無縁とは思えないことにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2018年3月 8日 (木) 12時50分

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