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2017年12月

2017年12月26日 (火)

日本人は縄文の昔から鮭を食べていた

  日本人とサケの繋がりは深く、4000年以上昔の貝塚からも多くの鮭の骨が見0026806つかっているそうです。先日、山形県遊佐町出身の友人から「鮭の味噌粕漬け」を頂いたばかりの折り、昨日25日の「世界!ニッポン行きたい人応援団スペシャル」(テレビ東京)では、塩鮭をこよなく愛するアメリカ・ナッシュビルのダニさんという女性が、山形県遊佐町と新潟県村上市を訪問して、「日本で鮭料理を学びたい! 塩鮭を食べてみたい!」という企画が放送されていました。
 山形県遊佐町では「桝川鮭漁業生産組合」の組合長・尾形修一郎さんら0002589811が、また、村上市では「越後村上うおや」の大女将・上村八恵子さんらが対応されていましたが、いずれもいい宣伝になったはずです。鮭は生まれた川から海に出て4年ほどで故郷に帰る回遊魚であり、生まれ故郷の川のニオイを嗅ぎ分けて帰ってくると言われますが、ダニさんも、四年後ではなく毎年来たいとのリップサービスのコメントが印象的でした。今晩は、「鮭の味噌粕漬け」を焼いて一杯と行きたいものです。

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2017年12月22日 (金)

「コテを持てば伊豆の長八」

 「ノミを持てば左甚五郎コテを持てば伊豆の長八・・・・」などと00204203200_、随分前に伊豆方面のバス旅行でバスガイドの名調子が今も耳に残っています。江戸初期に天下の名工として名高い播磨国明石出身の左甚五郎は、日光東照宮の「眠り猫」などで知られていますが、幕末から明治にかけての名工(左官職人)は静岡県松崎出身の入江長八は鏝絵『八方にらみの龍』などが有名であり、共に多くの職人から神様の如く慕われています。
 伊豆の長八が、コテ絵を芸術の域まで高めたと言われる「漆喰鏝絵(しっくいこてえ)」は、なまこ壁などに使う漆喰を鏝でレリーフ状に盛り上げ、顔料などで彩色する技法で、その作品は1880年(明治13年)竣工の旧・岩科学校の鶴の間の千羽鶴や、昭和59年建設された浄感寺内の伊豆の長八美術館で観覧できます。なお近年では、天井絵『八方にらみの龍』が残る、長八の菩提寺・浄感寺(じょうかんじ)で、例年「長八まつり」が行われ「長八供養祭」や「全国漆喰鏝絵コンクール」が同時に行われています。00000011
伊豆の長八美術館
 所在地:静岡県賀茂郡松崎町松崎23 
 電話:0558-42-2540
  入館料 大人:500円(中学生以下無料)
 開館時間:9:00~17:00(年中無休)
重要文化財・岩科学校
 所在地:静岡県賀茂郡松崎町岩科北側442 電話:0558-42-2675
 入館料:大人300円(中学生以下無料)
 開館時間:9:00~17:00(年中無休)

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2017年12月17日 (日)

「柿が赤くなれば医者が青くなる」

 富有柿、次郎柿、庄内柿、御所柿など、今年の秋も随分と柿の味を堪能させて頂き、お陰様で医者知らずで年を越しそうです。00485
 最近では余り喜ばれない柿ですが、日本の果物の中では最も古い部類だそうで、かつては、何所の家でも飢饉等の食料不足に備えて、何本かの柿の木を植える習慣があったようです。しかし、最近ではその名残りのように、国立市の谷保界隈に限らず多摩地域などの古い農家の屋敷には赤く色づいた柿の木が目立つのですが、そのまま放置され、鳥の餌にされている柿の木も少なくありません。
  面白いことに、柿は英語で「persimmon(パーシモン)」ですが、学名は「Diospyros kaki(ディオスピロス・カキ)」と言う日本語が由来で、意味は「Dios=神」「pyros=穀物」で「神様の食べ物」だそうですから有り難いことです。また、安倍総理がトランプ大統領に50万円のドライバーをお土産にしたことで注目された山形県酒田市の「本間ゴルフ」は、かつてプロ仕様のパーシモンウッドで一躍有名になっていましたので、地元の庄内柿材あたりを使っていると思いきや、主にカナダからの輸入材だそうです。
 昨日は近所の八百屋で、今年は最後の仕入れだという富有柿を買い求めていますので、少しは柿のことを想いながら、「神様の食べ物」を堪能しているところです。

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2017年12月13日 (水)

被害者・貴ノ岩関へ配慮すべき

 大相撲九州場所(12日初日、25日千秋楽)に引き続き、11月25日~12月1日まPosterで「犯罪被害者週間」が行われましたが、この内容や活動などをマスコミが率先して報道することは殆ど無いようです。それは、犯罪被害者の人権を無視するのはマスコミ自身と言われているからでしょうか。
 犯罪被害者は身体的・精神的・経済的に大きな打撃を受けることが常なのに、これを追い打ちするように、マスコミ報道によって、被害者の名誉や人権が傷つけられたり、日常生活の平穏を脅かす犯罪被害者への二次被害が後を絶ちません。興味本位の噂や心ない中傷などを、テレビ・新聞・週刊誌などのマスコミが煽り立て、被害者だけでなく、家族や周辺の方々まで社会的バッシングが行われる現実に日本社会の恐ろしさを感じています。
 犯罪被害者の加熱報道が問題視されたのは、 1997年(平成9年)に渋谷区円山町で発生した「東電OL殺人事件」と記憶していますが、マスコミは連日興味本位に被害者のプライベートを暴露するという心無い報道を機に、犯罪被害者支援制度が検討され、その支援の対象となる事件は、殺人、傷害、強姦などの身体犯、ひき逃げ事件、交通死亡事故、その他必要と思われる事件の被害者が保護されるとありますから、傷害事件被害者の貴ノ岩関も含まれるはずです。
  10月下旬、鳥取市内のラウンジで、横綱日馬富士関が貴ノ岩関を素手やカラオケのリモコンで殴り、頭部にけがを負わせたという傷害容疑は、憶測に次ぐ憶測を呼んでいますが、単なる興味本位の報道は国民を間違った方向に誘導することになりかねません。スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「(貴ノ岩が)被害者であることはハッキリしている。被害者サイドに明らかな落ち度があったわけでもないし、救済制度を考えてもいい」との見解が唯一の救いに見えます。因みに、「犯罪被害者週間」の最優秀標語は、田中睦月さんの「あたたかさ 伝わる言葉 あなたから」でした。

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2017年12月10日 (日)

洗車は「ママレモン」?で

 大手自動車メーカーOBの友人が、「台所用洗剤のママレモンは、勤めて000sl1000__2いた会社でも、ずいぶん前から洗車に使っていた。NASA(アメリカ航空宇宙局)でも使っているらしいよ!」と、自慢げに語るほどの油汚れに強い洗浄力と聞いています。以来、我が家でもママレモンは食器洗いの他に、洗車用としても欠かさない存在として常備している一品になっています。
 先日も洗車の際に台所から持ち出して、バケツの水にママレモンを数滴入れて薄めて、十分に泡立ててから使ったのですが、車体にこびり付いた頑固な汚れから窓ガラスの油膜まで簡単に取れ、改めて頼もしさを実感しています。もっとも最近では、何も「ママレモン」に拘らなくても似たような成分の洗剤や、カー用品店には専用の洗剤も多数並べてあるので、それに切り替えてもいいのでしょうが、若い時から大手メーカー御用達のイメージが定着しています。Taiya_01
 なお、洗車は水道ホースで伸ばして車の側で使える状態にして、ワックスやネンドクリーナーのほか、、タオルは、タイヤ用、洗車用、ふき取り用、ワックスふき取り用など別々に準備しています。
■我流の概ねの順序は、
1 「水で洗車」~タイヤや車体の汚れを軽く水洗いする。
           ボディを冷やす意味もある。
2 「シャンプーを作る」~バケツの水にママレモンなどでクリーミーに泡立て、ムートンやスポンジなど柔らかいもので、上から汚れを洗い落とす。
3 「ふき取り」~乾く前に専用タオルで拭くのが大原則です。 
4 「ワックス」~固形ならスポンジを90度軽くねじって付着させて、軽くボディに塗布し、ワックス専用布巾でふき取る。最近では、コーテング用に色々販売されているようですので、いずれ試してみようと思います。なお、「鉄粉落とし」や「水垢取り」は必要以上に神経質にならないようにしていますので、今回も省いています。

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2017年12月 1日 (金)

明治150年と「西郷(せご)どん」

 将来、「坂本龍馬」「大岡忠相(大岡越前)」「武田信玄」「上杉謙信」「吉Kieru_na田松陰」などの名が歴史教科書から消える可能性があるそうです。それぞれ小説やテレビ・映画などの題材にされる超が付く有名人ですが、本当の歴史研究者とは評価が分かれるようで誇大評価された人物のようです。特に、坂本龍馬は司馬遼太郎が小説『竜馬がゆく』と名前を使い分けて他の人の手柄まで竜馬の手柄のように盛り込んだため誤解が広まり、多くの史実と違う点が指摘されています。実際は、グラバーや西郷隆盛のパシリ程度の役回りだったそうですから正当な扱いでしょう。
 さて、来年のNHK大河ドラマは林真理子原作の「西郷(せご)どん」と発表されましたが、きっと、来年は「江戸幕府、一夜むな(1867)しく崩れけり」から150年の節目だからと思われます。西郷隆盛は3度死んだ男と言われ、2度の島流し3度の結婚を経て、徳川幕府を転覆させ明治維新を成し遂げます。しかし最期は、自ら誕生させた明治新政府を相手にして敗れ、官位を全て剥奪され逆賊と呼ばれつつ生涯を閉じています。ところが、明治22年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦が決定されると、明治天皇は名誉を回復し正三位を贈っています。0008526image
 この恩赦には、山形県の旧庄内藩士が藩主とともに100日余りも西郷と過ごした際に、西郷の言行をまとめ『西郷南州遺訓』として出版して、全国各地へ奔走し名誉回復の理解を求めた活動があったことは殆ど知られていません。何故、江戸~明治の激動の時代に、遠く離れた鹿児島と鶴岡の両雄が親睦を深めるに至ったのかは、別の機会に触れたいと思います。なお、鹿児島市と山形県鶴岡市は兄弟都市であり、隣接の酒田市には「南洲神社」が建立されています。
舛添知事が都職員に訓示した言葉: 大日建設の社長日記

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