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2017年8月25日 (金)

誇り高かったインディアンと日本人

  今日8月25日は、1543年(以後予算がでた)、種子島にポルトガル人が鉄砲伝来の日00maxresdefaultされますが、ポルトガルの歴史には、「1543年日本を発見した」と記述されているそうです。また「1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見」とされますが、これが我々有色人種の悲劇の始まりでもありました。
 アメリカ大陸に後から勝手に上陸した白人は、アメリカインディアンを奴隷にしようと企てましたが、誇り高いインディアンは、これを拒否したので皆殺しにされました。よって、白人は従順に従うアフリカの黒人を奴隷化し、続いて、黄色人種の国々を次々と植民地化していましたが、最後は、強く賢明な「日本の激しい抵抗」によって、白人による世界支配は直前で失敗しています。
 大東亜戦争では、有色人種の盟主・日本は、白人による植民地化に異を唱え、人種平等を唱え、亜細亜諸国に侵略していた白人を追い出し、有色人種国家を独立させるために戦いましたが、米軍を主力とする連合軍は、掟破りの赤十字船の攻撃、住宅地域の絨毯爆撃による無差別殺人、更には原子爆弾を使用してでも有色人種の全滅を厭わない戦いを継続したことから昭和天皇は、「これでは人類滅亡の戦いになる。」と警鐘を鳴らしつつ戦争を終結させました。日本は戦争に負けたことになったものの、開戦の目的のとおりに、人種差別は撤廃され、植民地は白人から解放され独立した世界の全ての国々から感謝されています。
 かつての日本人は、世界に恥じない誇り高い戦いを繰り広げたのです。
----------------------以下は、武田邦彦先生の言葉です。----------
 白人が有色人種を襲い始めた16世紀以後、迫り来る白人に対してどのような態度をとるか、5つの種類があった。
1) 断固として白人と戦い、屈従するより死を選ぶ(アメリカン・インディアン)、
2) 断固として白人と戦うが、力及ばないときにはジッと我慢する(ガンジー)
3) 従順で最初から白人に従う(アメリカ奴隷)
4) 白人の側について有色人種を痛める(中国)
5) 考える前に全滅する(アステカ、インカ)
 アメリカ人が広すぎる国土を運営するのに「奴隷」が必要だったが、アメリカン・インディアンはそれを潔しとせず、断固として戦って実質的に絶滅した。アメリカ人は人格的に高く、誇りを持つインディアンを奴隷にすることを止めて、アフリカから黒人を拉致して奴隷にした。白人は黄色人種は奴隷としてではなく、せいぜい使用人だった。油断のならない使用人だったが、中国人がいれば彼らが有色人種を管理してくれた。南アメリカではアメリカン・インディアン以外の有色人種は瞬く間に絶滅したので、かろうじて死を免れた人は「白人との混血」の道を選んだ。その人たちの末裔が今の南アメリカの多くの国に住んでいる。
1)の典型例がアメリカン・インディアンであり、2)の典型がガンジーだったが、その他の国、たとえばトルコ、イラン、インドシナ、インドネシア、フィリピンなどの国は「抵抗して敗れ、いつかはと思って我慢する」という状態だった。日本人は1)だったが、力が強く、ロシア(日露戦争)、ドイツ(第一次世界大戦)、フランス(仏印進駐)、イギリス(シンガポール攻略)、アメリカ(フィリピン奪取)、インドネシア(オランダ追放)と白人の国をことごとく力で制したから、白人支配のもとで呻吟もしなかったし、我慢する必要も無かった。
  アメリカン・インディアンはアメリカ人となったイギリス人の騎兵隊と戦って全滅したが、なぜインディアンは騎兵隊と戦争したのだろうか? それは日本が白人と戦争したのとほぼ同じ理由である。昔からインディアンが住んでいたところがある。そこに白人が来て「一杯やろう。友達になろう」と言うから一緒にお酒を飲んだ。帰り際に一枚の紙を出して「友達になった印にお互いにサインしよう」というからサインしたら、そこには「土地を明け渡すこと」というのが「英語」で書いてあった。だまされて追い出されたインディアンが移動先で生活していると、次々と奥地に移動命令が来る。そんな屈辱的なことはできない。先祖にももうしわけが立たないと立ち上がって全滅した。
 「アメリカン・インディアン」という呼び名が蔑視だから「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶと白人が言い、インディアンは拒否している。何を今更、と言っている。日本の反日日本人は「ネイティブ・アメリカン」を使っていて私のついインディアンが認めていると錯覚していた時期がある。白人は植民地を手放さないが、日本は手放せと言う。アメリカはフィリピンで小隊が独立派のゲリラに襲われた報復だと言って島全体の住民(40万人から160万人)を虐殺したが、白人は虐殺して良いが、日本人は殺してはいけないという。日本以外の有色人種で白人側に寝返った中国以外はすべて植民地だった戦争前、「おまえらもインディアンのように全滅してしまえ」というアメリカとABCD包囲網に断固として立ち上がる以外に、私たちの祖父になにか選択の方法があったのだろうか??また私たちは祖父が屈辱の道を選んで欲しかったのだろうか? 
(平成27年6月3日)
■最期の一撃 第十六話 アメリカン・インディアンと日本人     https://youtu.be/9VKaW8I_Vro

西洋の植民地にされるとこうなる  
 https://youtu.be/cT-3DE6nSZs

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12、日本は戦勝国だった」カテゴリの記事

コメント

そもそも日本が何故白人支配の餌食にならなかったのかについては諸説があり、未だ定説を見ないが、大別すると次の3つに集約されると思われ、すなわち、
(1) そもそも植民地にするメリットがなかった(欧州から遠く、交通の要衝でもなく、まして胡椒や綿花、磁器などの珍重されるような産物もない)。
(2) 技術力や教育水準が高かった(杉山社長が採りたい説。鉄砲伝来から長篠の合戦まで、黒船来航から世界最大の戦艦竣工までいずれも百年経っていない)。
(3) 白人側が「内輪モメ」で勝手にコケてくれた。
があり、特に(3)については歴史上日本は二度、白人支配を受ける危機があり、一つは戦国時代にスペイン、ポルトガルによるものだが、イギリスとの「アルマダの海戦」で敗れ無敵艦隊が壊滅し、とても日本くんだりまで遠征に来る力はなくなり(伊達政宗家臣支倉常長が呼びに行ったがもはや手遅れ。一方、海戦に参加した三浦按針により家康は無敵艦隊敗北を知っていた)、二度目は黒船によるアメリカの「砲艦外交」だが、その後の「南北戦争」で外征する余裕がないうちに幕臣・勝海舟が海軍力強化を幕府に進言、神戸に海軍塾を開き、坂本龍馬らを育成したことは周知の通りであるところで、そろそろ鉄道はイギリスで発祥し、アメリカが黒船来航の折、その模型を日本に披露したが、新幹線を生み出したのは我らが日本であり、「ひかり新幹線おやじの会」による恒例の「新幹線納涼大掃除」が明日・26日午前10時から鉄道総研正門前・ひかりプラザにて行われることにも言及頂きたいかと…。
https://ja-jp.facebook.com/hikari.shinkansen.oyaji/

投稿: | 2017年8月25日 (金) 09時51分

大日建設㈱杉山
 鎌倉時代の頃から「一所懸命」という言葉が生まれたとされます。
 武士たちは、将軍から預かったり先祖代々の所領を命懸けで守ったそうですが、この意識から「土地を守る」、「領土を守る」「命懸けで取り組む」姿勢が根付いたとされ、この考えが元寇を退けた原動力だったのでしょう。また、儒教の新しい体系とされる朱子学を司馬遼太郎は「朱子学というのは大義名分を論じ始めると、カミソリのような薄刃を研ぎにといで、自傷症のように自らを傷つけ、他を傷つけたりもするイデオロギー」(街道をゆく 28 眈羅紀行)と説いています。この朱子学の強い影響を受けた水戸学を学んだ水戸藩士による「桜田門外の変」や「天狗党の乱」などは、その典型例であり、「自らを傷つけ、他を傷つけたりもするイデオロギー」は明治政府に引き継がれ、血盟団事件、二・二六事件や満州事変、日清・日露・大東亜戦争では玉砕覚悟の突撃や特別攻撃隊につながったとされます。
 このような思想は、一朝一夕で身に付いたものではないはずであり、植民地にならなかった理由を、偶然や価値が無い国、白人の内輪もめなどの相手側の都合より、日本人自身の国を守る「一所懸命」さが勝っていたからと見ています。

投稿: 大日建設㈱杉山 | 2017年8月25日 (金) 10時38分

鎌倉武士が「一所懸命」なのは当たり前であって、彼らにしてみればその領地から上がる年貢米が唯一の「収入源」なのだから、それを失うということは即「失業」を意味するのであり、また合戦で戦功を上げれば論功行賞により新たな領地を貰えるという「昇給」もあり、それがインセンティブになってより一層主君への奉公に励むようになったのであって、その点は上司に「忖度」する現代のサラリーマンと何ら変わることはないところで、そろそろむしろそれで困ったのが元寇の後の鎌倉幕府であり、戦功を上げても新たに与えるべき土地がなく、武士たちに不満が広がったのであり、その点、秀吉は天下統一の後、矛先を外国に向けさせ、すなわち朝鮮出兵を行なったことにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2017年8月25日 (金) 13時00分

大日建設(株)杉山
秀吉は天下統一の後、矛先を外国に向けさせ、すなわち朝鮮出兵を行なったことにも言及頂きたいかと・・・≫≫≫
「秀吉の朝鮮出兵」は「戦功を上げても新たに与えるべき土地がなく、武士たちに不満が広がった」との見方は古いとされます。
結論は「世界支配を目論むスペインに日本の国力を見せつける」ことにあったようです。もし、秀吉が朝鮮出兵を行なわず、日本の国力をスペインに見せつけなければ、どうなっていたか。スペインは、当然のことながら、明国を植民地としての支配下に置いたことでしょうし、当然のことながら、朝鮮半島も、スペインの支配地となったことでしょう。
 当時、スペインという世界最強の大帝国に対し、一歩も退かず、むしろ臣従せよと迫った秀吉の壮大な気宇と誇りを、いまこそ見習うべきでしょう。
http://youtu.be/xCkCGbcMigw  
9/16 「朝鮮出兵の真意」 ~'10.02.27
黒田裕樹の歴史講座
■大和心を語るねずさんのひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1582.html

投稿: 大日建設(株)杉山 | 2017年8月25日 (金) 19時48分

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