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2017年8月 9日 (水)

今上天皇の退位と「戊午の密勅」

 昨年の8月8日、天皇陛下の御言葉によって退位の決意を述べられたことは、幕末の孝明天皇が不Koumei_image平等な日米修好通商条約に怒り、幕府を飛び越し戊午(ぼご)の密勅を水戸藩に下しつつ天皇の最大の抵抗手段とされる退位を決意されたことを連想しました。これは祖父・光格天皇の退位を見ての決意だったのでしょう。
 よく、平成の世は幕末期に似ていると言われますが、皆さんはどの辺りが似ていると思われるのでしょうか。来年2018(平成30)年は「江戸幕府、一夜むな(1867)しく崩れけり」の明治維新から150周年という大きな節目を迎えます。
 一般的に「幕末はペリー来航の1853年で始まり、戊辰戦争の箱館戦争1869年で終わった」とされ、司馬遼太郎は「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた」とも、或いは、「幕末は水戸藩の尊皇攘夷で始まり、天皇家と密接だった長州藩が閉じた」とも言われます。徳川御三家の水戸藩と、関が原以来の徳川に積年の怨恨を持つ長州藩・毛利家とは数奇な運命で結ばれていたのでした。事実、水戸藩藩校「弘道館」には、明治維新で名を残す長州藩の吉田松陰や薩摩藩の西郷隆盛、福井藩の橋本佐内0099856らが留学し、水戸藩の藤田幽谷、藤田東湖、会沢正志斎らから、尊王攘夷思想の源流とも言える水戸学を学んだとされます。
 さて、平成28年8月8日の天皇陛下の退位を示唆した御言葉は国民に大きな波紋を呼びました。この御言葉から、安政5年(1858年)井伊大老が朝廷の許可を得ずに日米修好通商条約に調印したことに、孝明天皇は「退位もやむなし」と決意されたことを思い浮かべたものでした。この安政の五か国条約と呼ばれた不平等条約は、米、蘭、露、英、仏と結ばれ、日本は長い期間苦境に立たされ、1904年日露戦争で勝利した7年後の1911年にようやく関税自主権の回復がなされました。
 しかしながら、再び1945年の終戦によって占領憲法を受け入れ、且つ日米安保条約の地位協定等によって、米国にもの言えぬ日本が続いています。この占領憲法の第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあっても、戦後の天皇は日本国民の総意ではなく、GHQの総意で決まったと解釈されています。つまり、戦争責任は回避されたものの、日本国民の誰からも投票やアンケートで確認していない、占領憲法下で象徴天皇が誕生したと解釈されます。このことは、孝明天皇が幕政の刷新と大名の結束を説く戊午の密勅を水戸藩へ下したことに端を発し、井伊大老は水戸藩や長州藩、薩摩藩、福井藩などの優秀な人材を安政の大獄で次々と処刑し、孝明天皇は幕府の言いなりを強要され、四面楚歌となった当時と酷似しているのでしょうか。
  天皇陛下は高齢による、「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思います」と述べつつも、遠慮ない皇室批判や皇位を安定継承する男系・男子の先細る皇室への無理解、外国軍に支配された中で象徴天皇をつとめることの矛盾から四面楚歌を感じておられるのでしょうか。天皇陛下の御言葉は、政府を飛び越して、直接国民に呼びかけた平成の密勅のようでなりません。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(宮内庁提供)     https://youtu.be/d35qY42vnZQ

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コメント

水戸学の祖とも言われる徳川光圀はむしろ優れたものであれば外国のものでも構わず積極的に採り入れ、ラーメン、餃子、チーズなどの初食者と言われた他、生類憐みの令を無視した肉食、ワインの愛飲、オランダ製靴下の愛用など、さらに当時最新の西洋天文学を採り入れた貞享暦(大和暦)を編纂する渋川春海を支援したことなどは映画『天地明察』にも描かれた通りであり、とても幕末の攘夷思想とは相容れないものであるが、それはさておき、実在が確認されている歴代天皇ではむしろ生前退位が普通であり、したがって明治天皇以来の一世一元よりも生前退位の方がむしろ「伝統」と言えるが(だからこそ「上皇」といった制度が用意されていた)、陛下のご高齢化(歴代天皇の中でも上位である)、ご公務のブラック化、ワンオペ化(特に平成に入ってからの猫の目政権、相次ぐ災害、冷戦終結による独立国増加など)で、一世一元という「伝統」が時代に合わなくなってきたことの方を問題視すべきではないのかといったところで、そろそろ同じく「伝統だから」という理由で誰も異論を挟めないのが今熱戦が繰り広げられている「夏の高校野球」であり、何故このクソ暑い猛暑の時期に甲子園でやらなければならないのか?特に高温注意情報の囲みを画面に出しながら高校野球中継をやるのは嫌味ではないのか?涼しくなったスポーツの秋にやるか、この時期にやるのなら大阪ドームでやるとかできないのか?また県予選にしたって神奈川県予選と山陰の方の県予選では明らかに「一勝の格差」が違いすぎるのに是正されないのか?さらに昨今の部活動問題、部活顧問問題も相俟って、社会問題の縮図となっていることにも言及頂きたいかと…。
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(追記)13:30時点でこのブログ記事タイトルに「平成天皇」というお名前が入っていますが、この「平成天皇」という称号は崩御(または退位)後におくられる(可能性のある)ものであり、したがって、御在位中にこのブログ記事タイトルなどで用いられるのはふさわしくないと抗議される可能性があることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2017年8月 9日 (水) 13時30分

大日建設(株)杉山
 江戸時代までは生前退位が普通に行われていたそうですが、上皇となって院政を敷くためや、退位して休養や治療に専念するためのほか、やはり、何らかの抗議の意思表示もあったそうです。
 また平成天皇」と表現し、炎上したブログもあるとか・・・確かに、現在の天皇陛下は平成時代の天皇ではありますが、年号と天皇をあわせた呼び方は、その年号の天皇が崩御した後の呼称とされますので、今上天皇と訂正致します。 ご指摘有難う御座います。

投稿: 大日建設(株)杉山 | 2017年8月 9日 (水) 13時41分

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