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2017年5月25日 (木)

「桜田門外の変」は牛肉の恨み?

 1974年の「三菱重工ビル爆破事件」など、一連の「連続企業爆000070a破事件」の大道寺将司死刑囚(68)が5月24日、東京拘置所で病死したと報じられました。この事件は、
 「日本赤軍事件」1970~1980年代に世界各地で起こしたテロ事件、「地下鉄サリン事件」1995年(平成7年)3月20日オウム真理教による事件と並べて、近年の「三大テロ事件」の一つと思われます。また、日本の歴史上の「重大テロ事件」としては、「本能寺の変」、「赤穂浪士討ち入り」、「桜田門外ノ変」、「二・二六事件」などが上げられ、
 「本能寺の変」は、天正10年6月2日(1582年6月21日)
 「赤穂浪士討ち入り」は、元禄15年12月14日 (旧暦)(1703年1月30日)、
 「桜田門外ノ変」は、安政7年3月3日(1860年3月24日)、
 「二・二六事件」は 昭和11年(1936)年2月26日発生は、動機が積年の遺恨を晴らすことや、本能寺以外は、雪が舞う寒い日だったことなどから、芝居や映画でも美しく演出されることが多いようです。
  ところで、「桜田門外の変は牛肉の恨みから」という新説があります。
 それは、江戸時代は肉食が禁じられていましたが、例外的に、彦Yosida_545437根藩では牛肉の味噌漬けを生産し、将軍家に献上してきました。そして、時々、老中や諸大名にも贈呈していたそうです。幕末の水戸藩主徳川斉昭も、贈られた一人で、牛肉が大好きだったので井伊家からの贈呈を楽しみにしていました。しかし、井伊直弼が彦根藩主になると牛を殺すことを禁じたので贈呈されなくなりました。そこで、度々、水戸藩から彦根藩へ、牛肉を贈るよう依頼しましたが、彦根藩はむげに断ってきました。この食べ物の恨みから水戸藩と彦根藩は仲が悪くなり安政の大獄・桜田門外の変に繋がったとのことです。この話は、吉田忠著の「牛肉と日本人」によると、明治期に水戸藩の関係者が書いた「水戸藩党争始末」に基づくもので、説得力ある話しだそうです。
 世界中で発生するテロ事件も、こんな裏話しがありますと、小説や映画にもなるのでしょうが・・・・・実際のテロの根本原因は、歴史的な民族紛争、領土問題、経済格差、宗教問題、イデオロギーの対立等々、深刻な問題があると思われ、これらを題材にした感動する小説や映画など生まれそうにありません。

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コメント

江戸時代には庶民に牛肉食の習慣はなかったものの、農具の鋤(すき)の上に食材を乗せて焼く料理は存在し、それが明治期の「牛鍋」が後に「すき焼き」と呼ばれるようになった由来という説もあるが、かの福沢諭吉も牛肉食を推奨し、戦後は坂本九の歌で唯一日本人の歌が全米ヒットチャートNo.1になったところで、そろそろここへきて国立駅南口の老舗喫茶店「シュベール」さんが5/27に閉店するとの情報が入っており、
https://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-12277578915.html
http://shubelu.co.jp/info_list/index.html
恐らく建物老朽化に伴うものと思われるが、国立の名店の灯がまたも消えてしまうのは何とも淋しい限りであることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2017年5月25日 (木) 12時53分

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