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2017年3月18日 (土)

刷り込まれた印象は消えない

 諺では「三つ子の魂百まで」と言い、また「おふくろの味」などは、一度脳裏に刷り込まれた印象は簡単には消えない典型です。Photo_2
 大東亜戦争後、GHQは日本国民に「アメリカは正義の戦争」、「日本は侵略の戦争」などと偏った図式を徹底的に洗脳するプロパガンダ(政治的思想等喧伝)は、政治家、マスコミ、歴史家、作家、評論家、教育者などを使ってあらゆる手段で行われ、今も、多くの国民は東京裁判史観を信奉する反日日本人のままであり、祖国への忠誠心・祖国愛・家族愛などを崩壊させたダメージは大きいものがあります。
 「人は見た目が9割」や「メラビアンの法則」、「7-38-55のルール」などで証明されつつありますが、人間は一度刷り込まれた印象は良し悪しは別にして、後々まで尾を引くものです。近年、この刷り込みの手法で政治が大きく動いた例として、
 実力者・田中角栄首相の失脚をアメリカが謀った「ロッキード事件」、
 人気絶頂の細川政権を引きずり降ろした「佐川急便借り入れ疑惑
 民主党小沢一郎氏の抹殺を謀った「西松建設献金でっち上げ事件
 などを思い起こすことが出来ます。これらは、単に目的のためには手段を選ばない「権謀術数主義 (マキャヴェリズム)」であり、当時の実力者を引き摺り下ろす手段だったことは明白なことでした。今・現在、この方法によって集中的な貶めが行われているのは、「豊洲市場の汚染」と「森友学園国有地払い下げ疑惑」です。
 マスコミ報道や野党の追及の信憑性や妥当性は別にして、「豊洲の地下水は汚染されている」、「森友学園は不正を行っている」などと針小棒大に騒げば騒ぐほど、その印象は国民に刷り込まれ消えないものです。これらは今後、長く国民全体の深層意識に残るものであり、このような事象の多くは、結果的に税金の無駄遣いと政治的空白を招いているだけで、徒労に終わることは数々の前例が示しています。
 そして本当の犠牲者は誰なのか?を真剣に考える必要があるはずです。

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コメント

 「おふくろの味」と「三つ子の魂百まで」については刷り込みでもなんでもなく、既に科学的な決着がついており、まず「おふくろの味」が何故美味く感じるかは、元来、動物(ヒトに限らず、サルでもクマでもライオンでも)というものは親(特に母親)から与えられる食料が一番安全だと「本能的に」知っているからであり、実際、複数のカレーライスの中に一つだけ自分の母親が作ったものを混ぜても識別できると言われており、ただしおふくろの味の代名詞のように言われている「肉じゃが」については東郷平八郎が英国留学中に食したビーフシチューを日本で部下に作らせた失敗作が起源と言われており、それが舞鶴だったか呉だったかハッキリしないことで両者間で発祥の地争いとなっており、
 一方、「三つ子の魂百まで」については現代風に言い換えれば書名にもなっている『将来の学力は10歳までの「読書量」で決まる!』であり、つまり、幼少期にどれだけ読書ないし絵本の読み聞かせなどを受けたかによって将来の学力、ひいては収入にも影響を与えるということであり、特に御社のような建設会社にも関わるが、学力の高い子のいる家庭のリビングには必ずといっていいほど本棚があり、子供が自然と本に触れ合える環境が整っているが、本は何も金をかけて揃えなくても図書館に行けば豊富に揃っており、特に国立市は図書館での絵本の読み聞かせ会などを積極的に行っているのだから、親の心がけ次第で読書量を増やすことは可能であり、したがって、金がないから勉強できない、給付型奨学金をなどという議論をすることは、こうした親の努力が必要なことを棚上げしたものだといったところで、そろそろ最近はヒット映画『君の名は。』の影響で、映画の舞台となった場所を訪ねる「聖地巡礼」が話題になっているが、それでいうなら我らが国立も細田守監督のアニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』で一橋大学や白十字、旭通りのクリーニング店などが舞台となっており、それが3/24に日テレで地上波放送されることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2017年3月18日 (土) 16時11分

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