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2017年3月17日 (金)

昭和も遠くになりにけり

 40年以上前に杉並区天沼に一時住んでいたのですが、比較的Photo近くには近衞文麿の旧宅「荻外荘(てきがいそう)」や二・二六事件で襲撃された渡辺錠太郎教育総監の邸宅、作家・井伏鱒二の自宅などの名所旧跡があり、近くを散歩した折にはそれぞれの歴史や作品に思いを馳せたものでした。
 その後、井伏鱒二も死去、渡辺錠太郎の娘・渡辺和子さんも昨年末に死去、また先日は、「荻外荘」が国の史跡に指定され公開されるなどの記事に目が留まりました。かつての「荻外荘」の裏手は崖になっていて木立が鬱蒼とし、昭和初期の香りが色濃く漂う場所だったことを思い出しています。
 また平成7年には、米国は機密文書「ヴェノナ文書」の公開から数々の新事実が明らかにされました。同文書によると、戦前からソ連は世界中にスパイを放ち0000704890、特に日本の近衛文麿内閣と米国のF・ルーズベルト政権の中枢をスパイで固め、日米両国を戦争に向かわせて共倒れに持ち込んでいった。そして日米はソ連のスパイの暗躍によって、不合理な戦争へと突き進んでいったとされます。
 戦前、内閣総理大臣を三度も務めた近衞文麿は、昭和12年の第一次内閣期から20年12月16日に自決に至る期間を過ごしたのが「荻外荘」ですが、当時、国を動かしていた重鎮の出入りは勿論として、きっと、ソ連のスパイ・ゾルゲや元朝日新聞の尾崎秀実(ほつみ)など共産主義者、エージェントが暗躍した場所でもあったのでしょう。
 戦争責任が最も高いとされる近衞文麿は、終戦後の昭和20年12月6日にGHQより逮捕令が発せられ、巣鴨拘置所出頭当日の12月16日早朝に荻外荘の自室にて、青酸カリを服毒して自決しました。近衞文麿は尾崎秀実ら共産主義者と謀り、日中戦争を泥沼化にして対米開戦に向かわせた総理大臣であり、仕方なく開戦を決断した東條英機総理より責任が大きいはずです。卑怯にも自決せずに、東京裁判で堂々とソ連を中心とした共産主義者による世界支配の陰謀を語ってくれていたら、戦後の日本も大きく変化したはずです。
 なお、00000lpv_ソ連のスパイ、ゾルゲの墓は府中の多磨霊園にありますが、ソ連からロシアに代わっても、同国の大使館員は日本に着任すると、ゾルゲの墓参りを励行しているそうです。国家に命を懸けて忠誠を誓った偉大な先輩として評価しているのでしょう。靖国を無視するどこかの国民とは違います
[PDF]大東亜共栄圏構想の成り立ちと国益 - 日本大学大学院総合社会情報

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01、個人的に関心を持った話し」カテゴリの記事

コメント

まぁ陛下が生前ご退位なされば、そのうち「平成も遠くなりにけり」と回顧される時が来るのだろうが、2つの大震災が起き、東京とNYでテロ事件も起き、湾岸、イラクと戦争も起きた一方で、「昭和最大のヒット商品」と言われた新幹線もいつの間にか北は函館から南は鹿児島まで伸び、宇宙、大リーグ、アカデミー賞、ノーベル賞と、日本人が活躍の場を広げた時代でもあったところで、そろそろ我らが国立の大学通りの桜が咲く頃になるだろうが、御社の隣町・国分寺市光町では一足早くヒカンザクラが花を咲かせており、場所は国立駅北口から光町通りを北上、道路左手の光町交番を過ぎ、鉄道総研盛土試験場から鉄道総研正門・ひかりプラザ方向へと至るいわゆる「皇太子道路」の角付近であり、写真を撮ってブログネタにされるのなら今のうちであるが、如何に時代が変わろうと、花だけは相変わらず毎年決まったように咲き誇ることにも言及頂きたいかと…。
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投稿: | 2017年3月17日 (金) 09時32分

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