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2017年2月21日 (火)

天皇陛下のベトナムご訪問の意義

 天皇・皇后両陛下は、2月28日~3月6日までベトナムとタイにご訪問さ2017222image0241_2れ、終戦後もベトナムに残留してベトナムの独立に貢献された元日本兵の家族とご対面されるそうです。元日本兵のご家族はいわれなき差別や、その後のベトナム戦争に従軍するなとでご苦労されたそうですので、陛下との面会できっと名誉回復されることでしょう。
 昭和20年の終戦後も、ベトナムに残留した日本兵約600名は、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)に協力し、仏軍の植民地奪還を退けた功績により戦功勲章と抗戦記念徽章を授与されています。しかし、日本は日米安保や共産圏との対立から、評価せずに隠蔽していました。一方、ベトナムも残留兵の活躍を封印していたのですが、日本との関係が改善された近年、ベトナムの新聞がホーおじさんの兵士になった日本兵と題して、日本残留兵が教官を務めたベトナム初の陸軍士官学校元幹部の手記を掲載し、「近代的な軍に変わろうとしていたベトミン軍には日本軍の支援が必要だった」と大きく報じたのでした。
 ベトナム軍は「ベトナム戦争」でも、米・豪・韓国軍などを全く恐れず退けましたが、その不屈の精神や戦術は日本兵教官仕込みだったのです。この経緯からも、日本軍はアジアへの侵略者ではなく植民地解放軍であったことを、ベトナムや日本人は勿論、国際社会もシッカリ認識しImage1_3て欲しいものです。なお、アジア諸国の独立に貢献したのはベトナムだけでなく、インド、ビルマ、フィリピン、カンボジアなど殆どです。日本は、アジア諸国が白人から数百年も植民地支配され、かつ、日本も植民地として狙われている現実から、遂に立ち上がった唯一の国でした。それを認めないのは、特亜三国と東京裁判を受け入れ自虐史観に凝り固まった日本人であり、「戦後レジームからの脱却」は、まず「東京裁判史観からの脱却」であると思います。天皇陛下のアジア諸国のご訪問は、「天皇陛下バンザイ」と命を捧げた英霊の皆様の慰霊であるとともに、勇敢に戦った元日本兵の慰めとなり、脱却の第一歩になるはずです。
米国人弁護士が断罪する東京裁判という茶番 | 書籍編集部コラム
■【正論】歴史共鳴する日越の連帯強化を ジャーナリスト・井上和彦
独立のために戦った元日本兵≫  
 もう一つ、日本ではあまり知られていない日越交流秘話がある。1945年8月15日、大東亜戦争が終結しても、なお約800人の日本軍将兵000204203200_がベトナムに残り、その多くがベトナム独立のために、インドシナ支配を再びもくろむフランス軍と戦ったのである。同年9月2日、ベトナム民主共和国の独立を宣言したホー・チ・ミンは、日本軍の兵器の譲渡を求め、残留日本軍将兵らにベトナム人指揮官の養成を願い出た。かくしてベトナム中部クアンガイに、グエン・ソン将軍を校長とする指揮官養成のための「クアンガイ陸軍中学」が設立された。この学校は、教官と助教官が全員日本陸軍の将校と下士官というベトナム初の「士官学校」であった。クアンガイ陸軍中学は、ベトナム全土から選抜されてやってきた青年が、実戦経験豊富な日本人教官から日本陸軍の戦術をはじめ指揮統制要領を学んだ。フランス軍は目を疑ったに違いない。少し前まで非力だったベトナム人が、見違えるように強くなり、しかも見事な近代戦を挑んできたのだから。現代ベトナム軍の基礎は旧日本陸軍によって作られたのである。そして元日本兵が最前線でベトナム人を率いて戦った。第1次インドシナ戦争ではフランス軍との戦闘で多くの日本人が戦死している。中には、その後のベトナム戦争でアメリカ軍と戦った者もいたとみられている(『世界に開かれた昭和の戦争記念館』展転社)。
■【Front Japan 桜】中朝関係の行方 / 天皇皇后両陛下ベトナム訪問と独立戦争を戦った残留日本兵-井川一久氏に聞く[桜H29/2/21]
    https://youtu.be/-Fo2ct5gFnA
 

第1回 仏印進駐の知られざる物語
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0802.php

第2回 植民地政府を解体した一夜の奇襲作戦
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0823.php

第3回 ホー・チ・ミンの軍隊で戦った日本人
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0906.php

第4回 現地校卒業生、命がけのベトナム残留
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0920.php

最終回 源流は大東亜戦争にあり──戦後日本のベトナム支援
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_1004.php

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コメント

そもそも日本とベトナムとの関係は古く、奈良時代には小倉百人一首の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」で知られる阿倍仲麿が遣唐使船での帰国途上漂着しており、ベトナム戦争期に日本はアメリカ軍に基地提供を行い、KGBの支援を受けたいわゆる「ベ平連」による反戦運動も見られたが、戦後は枯葉剤の影響を受けたベトちゃんドクちゃんの治療を東京で行うなど、比較的友好関係を維持しており、我らが国立市内にも「フォーNANA」さん、「サイゴン桜」さんとベトナム料理店もあるところで、そろそろそのベトナムと同じ東南アジアにあるマレーシアが北朝鮮駐在大使を「召還」したということは日本が駐韓大使にした一時帰国とは違って「断交」も辞さないという強い意思表示であり、一部では金正男氏の英国留学を断念した息子氏がDNA提供のためにマレーシアに行くとの情報も飛び交い、22日にも出るという検死結果が待たれるが、だいたい北朝鮮が遺体の引き渡しにマレーシアが応じないことを「人権問題だ」など宣うのは散々国民の人権を蹂躙しておいて「お前が言うな」であり、まさに女容疑者の服に書かれていたようにLOL(Laugh out Loud、笑止千万)であることにも言及頂きたいかと…。

投稿: | 2017年2月21日 (火) 12時40分

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