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2016年12月19日 (月)

「戦勝国は日本だった」その二

 連続して、大川周明の「米国東亜侵略史」を張り付けておきたいと思います。
 「日本は戦勝国だった」その一: 大日建設の社長日記0000051aba1cb0c46297db70ba3474fe2_2
 戦前から「白人からの植民地解放」を訴えたことが災いし、民間人として唯一人A級戦犯とされた大川周明は、開戦直後の1941年(昭和16年)12月14日~24日まで、国営放送NHKラジオで、日本国民に対米英戦開始の正当性を解説しています。そして、ワシントン海軍軍縮条約やロンドン海軍軍縮会議での軍縮の失敗など、日本政府の弱腰外交だったことを鋭く批判していますが、日本外交は今も昔も変わらない印象を持ってしまいます。
 戦前、大川周明は舌鋒鋭くアメリカを批判しながらも、戦後は戦犯扱いの屈辱からか、表向きは「戦争の正当性」の主張など一切せず、昭和32年に死去しています。当時一級の論客・大川周明に限らず、GHQによる占領下では、「日本の戦争は正しかった」などの主張は、戦犯扱いになる虞から一切発言できなかったはずです。しかし、大川周明は戦後にはアジア諸国が徐々に独立する様子を眺めつつ、一人ほくそ笑んでいたことでしょう。
 また、パナマ運河はアメリカ海軍が日本攻撃のために造ったもので、アメリカは着々と日本と戦う準備をしていたことや、真珠湾攻撃の前には、日中戦争戦線で米軍の戦闘機部隊「フライング・タイガー」が配備され、日本本土空爆の準備をしていたことも明らかにしています。
第22回:大川周明『米英東亜侵略史』を読む
米国東亜侵略史 序
 昭和十六年十二月八日は、世界史において永遠に記億せらるべき吉日である。米英両国に対する宣戦の詔勅はこの日をもって渙発せられ、日本は勇躍してアングロ・サクソン世界幕府打倒の為に起った。そして最初の一日において、すでにほとんどアメリカ太平洋艦隊を撃滅し、同時にフィリピンを襲い、香港を攻め、マレー半島を討ち、雄渾無限の規模において皇軍の威武を発揚した。
 この小冊子は、対米英戦開始の第七日、すなわち昭和十六年十二月十四日より同二十五日に至るまで、四方の戦線より勝報刻々に至り、国民みな皇天の垂恵に恐懼感激しつつありし間に行ったラジオ放送の速記に、きわめて僅少の補訂を加えたものである。それは『米英東亜侵略史』と題するも、与えられたる時間は短く、志すところは主として米英両国の決して日本及び東亜と並び存すべからざる理由を闡明するにありしがゆえに、史実の叙述はただこの目的に役立つ範囲に限らざるを得なかった。ただしこの小冊子が、いささかにても大東亜戦の深甚なる世界史的意義、並びに日本の荘厳なる世界史的使命を彷彿せしめ、これによって国民がすでに抱ける聖戦完遂の覚悟をいっそう凛烈にし、献己奉公の熱腸をいっそう温め得るならば、予の欣幸は筆紙に尽くし難いであろう
。----続く---
欧米植民地主義の凄まじい実態─学校が教えてくれない戦争の真実   https://youtu.be/MOwj5i7jlu8
■西尾寛二 GHQ焚書図書開封 第22回(米国東亜侵略史)
 第22回:大川周明『米英東亜侵略史』を読む
 ―ロンドン軍縮協定と日本の曲がり角―

https://youtu.be/Nvw7Ro1W5eg  

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