« 新撰組・斎藤一こと藤田五郎の写真 | トップページ | 政治家の健康は注目されて当然 »

2016年7月19日 (火)

「クーデター」と「革命」

 トルコ共和国では16日、軍事クーデター未遂が発生し、死者は少なくとも反乱軍側104人と鎮圧側の警察官や民間人ら161人の計265人が死亡、軍関係者ら約6千人を拘束したと報じられ00000566ています。未だに原因や背景は不明で、大統領の独裁強化目的の自作自演が囁かれています。
 ところで「クーデター」と「革命」の違いを若干整理してみたいと思います。まず「クーデター」は、暴力的に惹起する政変を言い、仏語で「国家に対する一撃(攻撃)」を意味するそうです。また「革命」は権力者の階級交代ともいい、被支配階級が支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革することで、一般的に多くの血が流れることや「法」に触れることは共通しています。
 このような事態が発生する前提には、政治経済の低迷や貧富の差、治安の乱れなどからくる、国民の鬱積した不平不満の土壌があるはずです。日本の「明治維新」は革命と語る方もいますが、徳川幕府から天皇へ政権が委譲されただけで本来の革命ではないようです。また日本のクーデターは全て未遂で、昭和6年の「十月事件」、昭和7年の「五・一五事件」、昭和11年の「二・二六事件」など、戦後でも昭和36年の「三無事件」、そして忘れてならないのは、平成7年のオウム真理教によるサリンなど化学兵器を使用した国家転覆計画もありました。
 それでも、日本は大人しい気質の単一民族で管理し易い国民性と言われ、クーデターや革命は起き難い国柄とされます。また、大多数の国民が平等・公平を追及した結果、差別や貧富の差が少ない社会主義的な国家になったことも幸いしていそうです。いつまでも、クーデターや革命から縁遠い国であって欲しいものです。

|

« 新撰組・斎藤一こと藤田五郎の写真 | トップページ | 政治家の健康は注目されて当然 »

01、個人的に関心を持った話し」カテゴリの記事

コメント

「クーデター」や「革命」が必ずしも流血を伴うとは限らず、クーデターは軍隊あるいは武力集団によるその武力を背景にした威嚇に政権側が屈すれば流血なくとも権力掌握は可能であり、また革命に至ってはまさに英国に「名誉(無血)革命」があり、ちなみに明治維新は英語圏では「メイジ・レストレーション」と呼ばれる「王政復古」であり、むしろ江戸幕府が徳川「将軍」率いる「軍事政権」だったところで、そろそろこんな候補者が本当に都知事に当選なんかした暁にはまさに「選挙革命」「野党四党による都政クーデター」であるが、「政策空っぽ」「他の主要候補に比して極端に少ない街頭演説」「しかも巣鴨の街頭演説は遅刻した上に1分で切り上げ、演歌歌手にバトンタッチ」「千葉大での講演会スッポカシ」「某局報道番組での主要3候補討論会出演をドタキャン」「ステージ4にまで至ったガンの再発可能性による健康不安(五輪までの生存率まで)」と枚挙にいとまがないものの、悲しいかなこれらはすべてネットでしか流布されていない情報であり、テレビしか情報源のない情弱オバチャン有権者にすれば、「この人しか名前を知らない」「ガンを克服したロマンスグレーの老紳士」「他の芸能人コメンテーターも好意的な評価」「ガン検診100%はやっぱり魅力」となり、しかもこれら高齢有権者は投票率が高く、このままでは英国EU離脱国民投票の二の舞になってしまうことは明白なため、野党四党(特に自衛隊を人殺し呼ばわりした政党)の術中にはまらないためにも、今日13時から某局番組で主要3候補が雁首を揃える中で馬脚を現すことを期待頂きたいかと…。

投稿: | 2016年7月19日 (火) 12時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2101431/66578211

この記事へのトラックバック一覧です: 「クーデター」と「革命」:

« 新撰組・斎藤一こと藤田五郎の写真 | トップページ | 政治家の健康は注目されて当然 »