« 鬼平なら「舛添知事をどう見る?」 | トップページ | 国立市で発見された龍馬の手紙 »

2016年5月23日 (月)

こんな人には絶対になりたくない

 宮沢賢治は「雨にも負けず」の最後を「そういうものに私はなりたImage_2と締めていますが、最近話題の都知事のような人物には「そういうものに絶対になりたくない」と多くの皆さんが思っていることでしょう。
  近年、実業家や政治家などが尊敬すべき人物として、傑出したリーダー像を求め上杉鷹山本間光丘の名を挙げる方が多いと思います。同じ東北出羽の人です。
  上杉鷹山(1751年9月9日~1822年4月2日)は、窮乏した米沢藩を救うため、「大検約令」を発し、役人の贅沢や無駄を徹底的に省き改革を率先して推進し、000yozan_zazo_2農政改革、教育を浸透させるため米沢興譲館などの設立、特に地場産業を育成するため養蚕・絹織物に力を入れ「米沢織」を世間に知らしめたほか、「笹野一刀掘り」、「錦鯉の養殖と鯉料理」などの産業を発展させ今に伝わっていると聞きます。けっして諦めない精神として「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」、また率先垂範の大切さとして「してみせて 言って聞かせて させてみる」という言葉を残しています。
 一方、同じ時代に18歳年長の本間光丘(1733年2月9日~1801年7月11日)が庄内藩で成功していました。「本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に」と謳われた酒田の豪商・本間光丘の功績は近年、作家 童門冬二の「本間さま」の経済再生の法則などで徐々に知られるようになっています。 「欲を捨てよ、利益はおのずとついてくる」との発想から、「余裕がある儲けは、それを世のため人のために回せとい000mitsuokaう考え方(公益の精神)」から、「飢饉には備蓄米の放出」、「飛砂に苦しむ農民のため砂丘へ黒松の植林」、「上杉鷹山当時の米沢藩への援助」、「戊申戦争賠償金として庄内藩への多額の援助」、「日光東照宮の廟の修理命令には一万二千両を献上」、「庄内藩転封の沙汰には七十万両を献納」、「江戸取締り役『新徴組』「の為に軍用金を献納」、「酒田商業学校の建設時には土地と建設費の援助」等々限りないと言われています。中でも、上杉鷹山は本間光丘を師と仰ぎ、「本間光丘なくして米沢藩なし」とも言われるほどの存在で、藩再興の助言はもちろん多額の資金援助を行ったことが復興の原動力になったそうです。御二人とも尊敬すべき人物として、功績は色あせることなく未来永劫語り継がれるでしょうが、今の都知事は歴史に何と刻まれ語り継がれるのか。お二人の凛とした佇まいと現都知事を見比べれば一目瞭然ですが・・・・・

|

« 鬼平なら「舛添知事をどう見る?」 | トップページ | 国立市で発見された龍馬の手紙 »

11、東京都知事に注目」カテゴリの記事

コメント

舛添批判に藩政改革者の例を挙げるのであれば越前福井藩の三岡八郎こと由利公正の名も挙げられ、彼は窮乏した藩財政を改革した手腕が買われ明治新政府の財政担当者に抜擢されたのみならず、まさに東京府知事まで務めたところで、そろそろその三岡を新政府に強く推挙したのは他ならぬ坂本龍馬であり、その旨を記した手紙が今世紀に入って我らが国立市内の住宅からお笑いコンビ(富士見通りのけんぼう窯にも出演)により発見されたことにも言及頂きたいかと…。
http://ameblo.jp/kunitachihappyspot/entry-11820082546.html
【大日建設(株)杉山】
「国立市で発見された龍馬の手紙」と「福井藩士の三岡八郎(後の由利公正(ゆりきみまさ)」のこと有難う御座います。
http://dainichi-k.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-e42a.html

投稿: | 2016年5月23日 (月) 09時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2101431/65628564

この記事へのトラックバック一覧です: こんな人には絶対になりたくない:

« 鬼平なら「舛添知事をどう見る?」 | トップページ | 国立市で発見された龍馬の手紙 »