« 「恵那雑巾」は絞られて役立つ | トップページ | 「テロ対策」民間は何が出来るか »

2015年11月19日 (木)

京都の「血天井」で戦国の世を想う

 京都は「鳴くよ(794年)ウグイス平安京」からは1221年、これに比べると「一路、雄雄(1600年)関ヶ原」からは415年ですので短いものです。先般の京都旅行では、この時代にまるで手が届くよ0000c2eうな錯覚に陥る場所がありました。京都旅行で記憶に残ったことを書き足しておきたいと思います。
 江戸の初期、家康の世になると、「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに喰うは徳川」と狂歌が流行ったそうです。それまでの日本各地は、主人殺し下越上が当たり前の戦国の世で、正に血で血を洗う争乱の時代が続いていました。そんな戦国の世に咲いた、三輪の花「浅井家三姉妹」は特筆されることです。_0003
 北近江・小谷城の城主・浅井長政は織田信長の妹であるお市の方と政略結婚し、日本史の重要な場面に名を残す三姉妹が誕生します。
 長女・茶々は淀君となり、秀吉の側室となり、世継ぎの秀頼を産みます。
 次女・お初(常高院)は小浜藩主・京極高次に嫁ぎ、風雲迫る大阪城に姉・淀殿の救助と和平を目指して豊臣・徳川間を幾度も往来しています。
 三女・お江は、2代将軍・徳川秀忠に嫁ぎ、3代将軍・家光や後水尾天皇の中宮・和子を産んでいます。
  さて、京都の三十三間堂の道を挟んだ東に「養源院」というお寺がありますが、地天井の寺として有名です。このお寺は、淀君が秀吉に願い、小谷城の合戦で破れ自刃した父・浅井長政の21回忌に建立したお寺です。その後、火災で焼失していた寺を、淀君の妹で二代将軍・徳川秀忠に嫁いだ小督(おごう)が、落城した伏見城の床などを移築して再建し、その後は徳川家の菩提所となった寺だそうです。
  ポイントは、建立したのは淀君で、父・長政の敵である秀吉に願い建立したこと。 
  また、再建したのは淀君の妹で二代将軍・徳川秀忠に嫁いだ小督(おごう)ですが、そのとき天井に血で染まった徳川方の城「伏見城」の床板を使用していることです。この天井は、関ヶ原の合戦の直前に、伏見城に籠った家康が人質時代からの盟友・鳥居元忠ら380余名が自刃した血が染み込んだ床を、寺の天井板に使ったのです。
  案内された住職さんは、この寺には、血で血を洗った信長・秀吉・家康らの戦国の世に終止符を打ちたいと願った、お茶々、お初、お江らの想いが込められているとの説明に納得しています。
 養源院は案内人の説明が一番丁寧だったところと思っています。
 ただ当日は混雑していました。皆さん京都旅行では外せない場所なのでしょう。
 また、養源院には俵屋宗達が書いた杉戸などが展示されています。

Yougenin000Image2
  「養源院(ようげんいん)」の住所は東山区三十三間堂廻町656です。
 血天井のある寺では、他に
 宝泉院(ほうせんいん) 京都府京都市左京区大原勝林院町187勝林院塔頭
 正伝寺(しょうでんじ)京都市北区西賀茂北鎮守庵町72
 源光庵(げんこうあん)京都市北区鷹峯北鷹峯町47
が知られています。

|

« 「恵那雑巾」は絞られて役立つ | トップページ | 「テロ対策」民間は何が出来るか »

09、そうだ、京都に行こう」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2101431/62577214

この記事へのトラックバック一覧です: 京都の「血天井」で戦国の世を想う:

« 「恵那雑巾」は絞られて役立つ | トップページ | 「テロ対策」民間は何が出来るか »