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2015年10月16日 (金)

歴史を左右した京都伏見の戦い

 京都南部に位置する伏見は、戦国時代は徳川が天下を取ることになる「関ヶ原の戦い」、幕末には徳川幕府の終焉となる「戊申戦争」の前哨戦の地として歴史のターニングポイントになった所として知られています。Image5
 「伏見城の戦い」は、「関ヶ原の役」の前哨戦として、家康が今川の人質当時からの幼馴染・鳥居元忠らが籠城する伏見城を西軍(石田三成側)が攻めたとき、元忠ら1800人が城を枕に玉砕した戦いでした。なお、養源院(東山区三十三間堂廻町656)の「血天井」は元忠や家臣らが自刃した建物の床板を供養のために天井に貼られたと言われます。
 また、「鳥羽伏見の戦い」は、幕末の1868年(明治元年/慶応4年)は、日本史上最大の内戦「戊辰戦争」の前哨戦として知られています。いずれも、歴史を大きく左右した一大決戦であり、そんな伏見の空気に触れたくなり訪問してみました。
 かつて、伏見は豊臣秀吉により宇治川と濠川による河川港として築かれ、大阪と京都を結ぶ交通の要衝として、米を三十石積めたという三十石船が往来した水運の拠点であり、また、秀吉は伏見城を築き「桃山文化」が花開いたところです。
 しかし、「伏見城の戦い」では三十石船などが水運を利用して、西軍の軍勢は伏見城を目指したであろうし、幕末には、薩長の西郷隆盛や坂本龍馬ら志士も三十石船で往来し、討幕のために京の街に武器弾薬を運び込み、天誅や京の街の焼打ちなど不穏な計画をしたはずです。そんな、歴史の証人として坂本龍馬が定宿にしていた伏見港の船宿「寺田屋」が昔の姿のまま残されていました。
 訪ねると、きっと幕末にタイムスリップしたような感覚になるはずです。
 かつて賑わった「伏見港」は、淀川水運が廃止されると埋め立てられ、現在は伏見港公園として復元されていました。

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日本の夜明け
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