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2015年10月27日 (火)

マチュピチュに日本人の偉大な足跡

  今日27日は、朝から誰でも嬉しく思うような、「小さな大ニュース」を知りました。Image
 空中都市と呼ばれる世界遺産のマチュピチュ遺跡があるペルーのマチュピチュ村福島県大玉村が友好都市提携したことを朝のNHKニュースで知りました。
 世界的に有名な「マチュピチュ村」は、多くの国から友好都市の声がかかるそうですが、実際に協定を結んだのは世界で大玉村が初めてというから快挙です。
 この快挙の陰には布石がありました。Image1_3
 なんの縁も無いと思われる二つの村を結びつけたのは、大正6年、移民船でブラジルを経由してペルーに渡った大玉村生まれの野内与吉さんです。
 その後、縁あって昭和23年に与吉はマチュピチュ村初代村長に任命されると、マチュピチュ村まで鉄道を敷くことに尽力し、世界的Image1_4な観光地になる礎を築いたのでした。この鉄道の仕事は息子の野内・セサル・モラレスさんに引継がれ、息子もまた1981年(昭和56年) に村長に就任しています。
 更に、孫の野内セサル良郎さんは、日本の国際交流団体でマチュピチュ遺跡などペルー文化紹介の講師を勤めつつ大玉村を訪問し、去年は「日本マチュピチュ協会」を設立したという。野内与吉さんは、川の流れを利用した水力発電で村に電気を灯した他、土木工事など「七つの職を持つ村長」として村の発展に尽力し尊敬されたと、孫のセサル良郎氏が語っています。
 なお、野内与吉さんは昭和43年に52年ぶりに大玉村に里帰りして、講演会を開くなど、大玉村でペルーの魅力を伝えたそうです。晩年は、マチュピチュの玄関口の町クスコで暮らし1969年8月29日(昭和44年)74歳で波乱万丈の生涯を閉じています。Image1_5
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