« 壬生や角屋で幕末にタイムスリップ | トップページ | 京都中央卸売市場のにわか知識 »

2015年10月18日 (日)

京都中央卸売市場「(株)石徳」のこと

 このところ、連続して京都の話題を提供していますが、兄弟の会社のことにも触れておきたいと思います。Img_4665京都市中央卸売市場では、兄の杉山富美雄と弟の賢三が、「石徳果物部」と、「石徳青果部」を営んでいます。
 兄の富美雄とは年齢が8歳違い、中学を卒業すると直ぐ京都の叔父方で暮らしながら京都の学校に通っていたこともあり、実家で一緒に過した思い出は少なく、先日、訪問した際に京都で暮らすことになった経緯などを尋ねてみました。
 京都には母の妹が嫁いでおり、ご主人は三木昭三といい京都市中央卸売市場で石徳を営んでいたのですが、子供がいなかったのです。そこで富士宮市の我が家には男四人兄弟Bananaがいたので、幼少時から誰かを後継者に欲しいと狙っていたようです。そして兄・冨美雄は気配りが利くところがあり、商売向きと叔父の目に留まったのでしょう。
 本人へのアタックは、中学三年の京都への修学旅行のときと聞きました。宿泊先に生徒や先生方全員分の大量のバナナが届けられ、「今日は冨美雄君を我が家に泊まらせたい」と先生に頼み許可されたことが第一歩のようです。Honda_cb_250
 叔父・叔母の京都の自宅では、ご馳走の接待攻勢を受けながら、「京都はいいぞ・・・富士宮と違って何でもあるぞ・・・」などと口説かれたのでしょう。しかし長男であることから、当然、親の大反対があったのですが、これを押し切って京都に向かったのは昭和34年のことでした。京都では一人息子のように大切にされ、当時、一番人気のオートバイ「ホンダCB250」を与えられ、流行り始めたばかりのエレキギターを買ってもらい音楽学校に通うやらで、スッカリ京都に染まり抜けることが出来なくなったのでした。
 叔父や叔母の作戦に完全にハマってしまったのでしょう。0000c5
 いよいよ商売の石徳の仕事を手伝うのですが、当時、流行のベンチャーズサウンドに憧れ、折からのエレキ・ブームから、仲間5人でバンドグループ「ザ・マイティーズ」を編成したそうです。そして、同じ学校の後輩で京都出身の愛田健二のバックを担当し、「京都の夜 」「小雨の金閣寺」などを、京都や大阪などの舞台で演奏していたようです。
 因みに、「ザ・マイティーズ」の名付けは、通っていた京都関西音楽学校の作曲家で浅田憲司校長だそうです。浅田校長は愛田健二(本名・浅田久一)の父親だそうですから力の入れ方が分かります。
 当時は「モテモテで困ったものだ」と語っていましたが、富士宮に帰省しても、そんなことは一切語らなかったので、今回初めて聞いた話でした。しかし、どんなに夜遊びしても、午前2時には市場に向かったことを自慢していましたが、色々いい思いをしたことでしょう。最近、体調を崩したそうで心配しているのですが、弟の賢三がシッカリ支えているようなので安心しています。
 弟の賢三は、富士宮当時から空手を続け、今でも学生達に指導しているそうです。
 富士宮当時はヤンチャなところがありましたが、今は仕事一筋の男です。
 下段に「京都の夜 」を貼り付けましたので、愛田健二の甘い歌声とともに兄の若かった頃を想像したいと思います。

Img_4668

 下段中央が、叔父の三木昭三です。Img_4675

京都の夜
 
作詞:秋田 圭  作曲:中島安敏  歌唱:愛田健二
(一)
別れないでと 抱きしめて
愛してくれた あの人は
白い夜霧に 消えたまま
淋しく今日も 求めてうたう
甘い京都の夜は ふけゆく
 【台詞】
 ばかだなあ  どこへ行っちゃったんだい
  君の 君の シャネルの匂いが いつまでも 消えないんだ
(二)
聞かせておくれ 今一度
優しいあなたの ささやきを
祇園の雨に 濡れながら
シャネルの人を せつなく今日も
さがす京都の夜は ふけゆく
さがす京都の夜は ふけゆく

|

« 壬生や角屋で幕末にタイムスリップ | トップページ | 京都中央卸売市場のにわか知識 »

09、そうだ、京都に行こう」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2101431/62088703

この記事へのトラックバック一覧です: 京都中央卸売市場「(株)石徳」のこと:

« 壬生や角屋で幕末にタイムスリップ | トップページ | 京都中央卸売市場のにわか知識 »