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2015年6月 7日 (日)

国立も富士宮も「韮山県」だった

 静岡県富士宮市で生まれ育ち、現在は40年来の国立市内居住ですが、明治Image12_3初期の数年は、富士宮も国立界隈も旧「韮山県」として一つの行政区だったのです。
 さて、伊豆の国市にある「韮山反射炉」は世界文化遺産登録リストに掲載され、1カ月間(5月5日〜6月4日)の入場者数が、4万7816人に達し、前年同期比約5・2倍だそうです。ここには小学校6年生の時に遠足で一度だけ訪問していますが、何故、わざわざ遠足で行かれたのか、ボンヤリと理解出来るようになりました。
 この反射炉がある韮山は、旧「韮山県」の県庁所在地だったのです。
  「韮山県」の管轄は、現在の静岡県東部、神奈川県西部、埼玉県南部、山梨県南部、東京都多摩全域や一部23区辺りまで広く分布しています。
 これだけ広い範囲では、とても、きめ細かい行政は無理だったでしょう。Design5001
 県知事は、明治2年(1869年)6月10日~明治4年(1871年)11月13日まで、江川英武(前韮山代官)が務めましたが、その後、韮山県は分割され消滅しています。当初の「廃藩置県」で定めた3府302県は、大規模な統廃合が繰り返され、現在の1都1道2府43県に落ち着くまでは相当年数を要し、多摩地域が東京府に移管されたのは1893年(明治26年)のことです。
  旧「韮山県」の範囲は、「もしあの地域が1つの県だったら」や「道州制区割り案( 旧韮山県)」を参考にしています。
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