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2015年5月11日 (月)

立川市羽衣は「国立」の一部だった。

 「羽衣」とは、郷里・静岡県の三保の松原に天女が舞い降りたとImage15_2う伝説を彷彿させる美しい地名ですが、かつての羽衣には国立市民が忌み嫌う施設がありました。ところが、この立川市羽衣一帯は、昭和23年に国立村(谷保村)から立川に編入した地域だそうです。
 「国立市史(下・197頁)」によりますと、
 「羽衣地区の子供たちは、立川市の小学校に通っていましたが、親たちは、食糧や砂糖の配給のさいには、富士見通りをテクテク歩いて国立駅前の配給所まで歩いてこなければなりませんでした。現在の多摩中央信用金庫の前の三角形をした緑地帯に国立会の小屋(配給所)があって、配給品はそこで手渡されていた。配給品は立川市のほうが有利なこともあって、羽衣の住民たちはかねてから立川市への編入を強く望んでおり、谷保村議会と都の承認をえて、ようやく編入が認められたのです。」
 などとあります。
 当時、立川市錦町には白人米兵相手の「錦町楽天地」、羽衣には黒人米兵相手の「羽衣新天地」と呼ばれたRAA(特殊慰安施設協会)」があった地域でしたが、ここを国立から切り離したことは、昭和26年の「文教地区」指定に、どのような影響があったのでしょうか。
 なお、昭和29(1954)年12月10日に、戦後、新聞協会が復員してきた記者ら家族に分譲した東三丁目の通称「プレスタウン」辺りが、ここに住むマスコミ関係者の強い要望で府中市から国立に編入されています。つまり、主張する力が強いマスコミ関係者が多くなり、問題提起力が増幅され国立らしさが一層強化されたことになったはずです。また、昭和31年は国分寺市との間に若干の境界線の変更があったそうですが、それ以降は市域の変更はないはずです。
Kunitachi_00

国立の変遷
明治22(1889)年 谷保村、青柳村、石田村が合併し、谷保村となる
明治27(1894)年 神奈川県から東京府へ移管
大正15(1926)年4月 国立駅開業
昭和 2(1927)年 東京商科大学(今の一橋大学)神田より移転
昭和23(1948)年 境界変更 谷保村から羽衣を立川に編入
昭和26(1951)年 町制施行され、谷保村から国立町と改称
昭和27(1952)年 文教地区指定
昭和29(1954)年 境界変更 府中市の一部
昭和31(1956)年 境界変更 国分寺市の一部
昭和42(1967)年 市制施行

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