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2015年2月27日 (金)

国立の昔懐かしい道路名「八本通り」

 国立市の中心地域は、北はJR中央線、南は南武線に挟まれ、南北Imageの道路のつながりの悪さに加え、東西道路の未整備の影響もあってか、パトカーや白バイなどの警察車両にまで通行を敬遠されている感があります。
 最近、国立市内をパトカーや白バイが多く走っていた昔を懐かしく思い出すことがあります。現在、国立市北3-30-3に「多摩自動車車検場」が在りますが、隣に「警視庁第八方面本部」の跡地が寂しく残っています。その前の三叉交差点は「多摩車検場前」の名称ですが、かつては「八方面本部前」交差点でした。
 そして、JR中央線方向に直角に伸びる道路を「八本通り」と呼んでいました。
 その「警視庁第八方面本部」の敷地には、八交機(第八方面交通機動隊)や八自ら(第八方面自動車警ら隊)なども同居しており、多くの白バイやパトカーが駐屯していましたが、20数年前に警視庁多摩総合庁舎(立川市緑町3280)に全て移転しています。
 移転後も、私ども古い住人は親しみを込めて「八本通り」と呼んでいるのですが、20歳前後の若者も「八本通り」の呼称で通用していることを最近知りました。
 きっと、多摩蘭坂や谷保の源五郎曲り同様に地元に定着する名称なのでしょう。
 八交機や八自らが市内にあった時の良かったことは、
 「八本通り」はもちろん、当社前の「弁天通り」や「北大通り」、国立中心地の「大学通り」などを往来する白バイやパトカーの姿が多く見られ、地域住民に安全・安心感を提供していたことです。
 このことは、移転してからシミジミと思ったことです・・・・・
 警視庁第八方面本部の管轄は
 立川警察署の他に、武蔵野・三鷹・府中・昭島・調布・小金井・小平・東村山・田無・東大和署があり、指揮下にある八交機八自らは、これらの地域のパトロールなどの往復に、必然的に国立市内の道路を通行する必要があったのです。
 現在は、きっと、
 立川市緑町の隊本部から担当区に向かう際は、甲州街道や新青梅街道、五日市街道などの大通りに真っ直ぐ出ているため、国立市街地の通行は激減したのでしょう。
 そして思うことは、警察施設の復活や警察署誘致は困難でしょうから、なんらかの工夫をして、国立市内に白バイやパトカー、警察官の姿を多くして欲しいものです。 
 このことは、国立市や市民も一緒に検討してもらいたいテーマです。
 国立市内では昨年だけでも
■5月 3日、国立市中1丁目「孤董館」の古美術店店主殺人事件
■5月10日、国立駅前の横断歩道を渡っていた小学生が轢かれた交通死亡事故
■8月10日、国立市谷保の路上で道路を横断中の男性が死亡したひき逃げ事件
■9月26日、国立市「泉都営団地で男性が背後から突然刺される殺人未遂事件
 今年も
■1月2日と 11 日に国立市西の路上で、帰宅途中の女性が背後から近寄ってきた男に突然、口を塞がれ「 財布を出せ」と脅された強盗致傷事件など悪質な事件が続発しています。


 

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