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2015年2月15日 (日)

国立の「大学通り」は飛行場だった!

 「大学通りは昔は飛行場だったんだぞ!」と、40年近く以前のことですが、地元の高齢者から自慢げに教えられて驚いたものです。この道路は良く通る機会がありますが、そのたびに飛行場だった遠い昔の光景に思いを馳せることがあります。Daigaku_doori
 駅前の道路やロータリーなどは、その街の玄関口として印象を決定づけるものですが、国立の街並みが多くの方々に好印象を待たれる一つに、この幅の広い「30間道路」と呼ばれたメインストリート「大学通り」があると思っています。
  (※一番広い所が30間あったと言われる)
 国立駅前から谷保方向に伸びる「通称・大学通り(三十間道路)」は、直線が約1.8km、幅が44mもあって、緑豊かで解放感があり都内では珍しいと誰もが思うはずです。
 この道路の正式名称は、「東京都道146号 国立停車場・谷保線」といいますが、昭和初期に山林だったところを切り開いて飛行場として作られた場所だったのです。
 国立に住むことを決断した方は、
 この道路の両側に設置された幅広の歩道や桜並木に魅了されたと言われますが、実は昭和2~4年までの二年間は、国立と軽井沢と結ぶ滑走路でした。
 何故、軽井沢かと言いますと、この辺りは大正14年頃から、学園都市構想の一環として、箱根土地(コクド~プリンスホテル)の堤康次郎(つつみやすじろう、1889~1964)が、この地区の開発に奔走していた時期です。つまり、当時の西武は、軽井沢に別荘建築事業の拠点を持っており、そことの往来や、空からも、「小平学園」「大泉学園」「一橋学園」「都立家政学園」などの学園都市構想を練っていたのでしょう。なお、学園都市構想で成功したところは、ここ「国立」と「小平」だけと言われていますが、堤康次郎は「国立駅」の名づけにも関わるなど、足跡は大きいものがあります。Img_3976

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03、 国立市界隈のこと」カテゴリの記事

コメント

大学通りが飛行機の滑走路だったとは知りませんでした。
確かに周辺の道路と比べて道幅が広くて長いのは違和感がありましたが、その謎が解けた感じです。
大変貴重な情報ありがとうございます。

投稿: トリックスター | 2015年4月 9日 (木) 16時46分

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