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2015年2月14日 (土)

国立市を守り続ける「谷保天満宮」

 日本各地に神社が建立される歴史を大ざっぱに分類すると、00000yabo
●自然の万物に宿る八百万の神々を崇拝する神社
●日本国家の功績者を神格化した神社
●無念の思いで死んだ人の怨霊を鎮めるための神社
 
があると言われています。
 日本三大怨霊を鎮めるため神社として、平将門の「神田明神」、崇徳(すとく)上皇の「白峯神宮」、そして菅原道真公の「天満宮」が有名です。
 道真公は醍醐天皇の下で「右大臣」まで上り詰めた優秀な人でした。
 しかし、『白紙(894年)に戻す遣唐使』と歴史の年表で覚えたように、遣唐使問題Mitizanなど、無実の罪を着せられ、901年、京都から九州の大宰府へ流され二年後に死亡しています。
 道真公が903年に死亡すると京都では異変が相次ぎました。
 道真公に濡れぎぬを着せた左大臣・藤原時平の病死、醍醐天皇の息子、時平の甥で次期天皇の死亡、東宮に内定した者も死亡。更に京の街で落雷などの異変や天変地異が相次いだ事は、濡れぎぬを着せられた菅原道真の怨念とされ、怒りを鎮めようと名誉回復と高い地位が授与がされ、次第に神様として祀られることになったそうです。
 そして、落雷事件から道真公は、雷の神「天神(火雷天神)」とされ、また、頭脳明晰であったことにより、「学問の神様」とされたと謂れています。
 ところで、国立市谷保の「谷保天満宮 」の始まりは、http://www.yabotenmangu.or.jp/index.html
 901年、道真公が太宰府に流されたときと同時期に、長男は土佐、次男は駿河、三男の「道武」は武蔵の国・谷保に流されました。
 903年父・道真公が死亡すると、道武は父を慕い面影を木像にしたものが御神体として、903年府中辺りに建立されましたが、以来、災いからこの地を守り続けていると共に、勉学の大切さを教え伝えています。
 今の場所には、1181年に移転したという記録があるそうです。
 なお、「907年・紅(くれない)に沈む唐滅亡」と覚えましたが、その13年前には、
    『白紙(894年)に戻す遣唐使』と、
 道真公は唐を見限って遣唐使を廃止しています。
 先を読む力も高い人だったのでしょう。
 菅原道真公のような人物は、今の時代に是非欲しい人材と思います。
 それから、谷保天満宮には菅原道真公が好きだったという梅の木は、境内の梅林に数百本ありますが、今月下旬には咲き始めることでしょう。
 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて春を忘るな
           — 菅原道真、拾遺和歌集

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