12、日本は戦勝国だった

2017年4月 6日 (木)

「フィリピン」は屈辱の国名です。

 日本人が初めて欧州の白人と接触したのは、1549年、スペイン_2のザビエルがキリスト教を伝えたときとされますが、その数年前の1542年には、スペインはフィリピンを武力で征服し、時の国王のフェリペ2世に因んで「フィリピン」としました。
 現在、スペイン国王のフェリペ6世が来日中で、明日7日は天皇皇后両陛下とともに、久能山東照宮、静岡浅間神社などを訪問されます。なぜ、静岡県かと申しますと、1609年9月30日、スペイン領フィリピンの臨時総督ドン・ロドリゴら373名は、サン・フランシスコ号でメキシコに帰る途中、千葉県御宿沖で座礁して、多数の乗組員が御宿町岩和田海岸に漂着。この際、救助された317名が駿府城の家康のところに訪問し、様々の援助を受けて無事メキシコに戻Img07ることができたのでした。その二年後、スペイン国王のフェリーペ三世は、駿府の徳川家康にセバスチャン・ビスカイノ大使を正式に派遣し、家康に洋時計を贈ったそうで、来日中のフェリペ6世はその洋時計の鑑賞が予定されています。
 歴史を振り返れば、スペインは1542年の遠征隊がフィリピンを征服し、時の国王カルロス1世の子、後のフェリペ2世の名に因んでフィリピンと名付けたとされ、近年、フィリピンでは、征服者の名の国名を恥辱として変える動きがあるそうです。
 日本にも、スペインは返礼使節名目でビスカイノ大使を派遣していますが、最大の目的は日本列島の測量と、金銀が豊富にあるという伝説上の金銀島の探索だったそうですから、日本を植民地にする企ては明らかです。その後、フィリピンなどアジア諸国は、数百年にわたり白人から植民地にされた悲惨な歴史が刻まれますが、日本以外、欧米列強からのアジア侵略を食い止める国は無かったことも明らかです。
【馬渕睦夫】国難の正体<植民地支配>  
 https://youtu.be/X4AJ-rEdyD0
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2017年3月21日 (火)

戦争目的を達成した国はどこ?

  プロイセン(ドイツ)の将軍クラウゼヴィッツの「戦争論」に、「戦争に勝った敗00203200_けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる」とあります。また、「戦争は単に勝ち負けを争うのではなく、国益の確保という観点から複眼せねばならぬ」、「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」ともされます。確かに、日本は大東亜戦争で白人連合国から徹底的に痛め付けられ形では負けましたが、日本の戦いぶりに感化されたアジア諸国民も、共に戦い全ての国々が独立を勝ち得て、更に、アメリカやアフリカの黒人にも人種差別撤廃の動きが広まり、今では、殆どが解放され日本は感謝されています。
  一方、形では勝った国の戦後はどうであったのか?、
 白人国家の殆どは植民地を失った結果、欧州の片隅に追いやられ、単独では経済も立ち行かなくなって、EU(欧州連合)などの共同体を作ってどうにか生き20110612160544ce5s延びています。また、アメリカも日本と同盟を組んだお陰で、どうにか力を維持していますが、今後は縮小に向かうと見られています。つまり、「大東亜戦争」は有色人種の、白色人種に対する壮絶な巻き返しであったことは事実であり、その当時、白人に対抗する気迫と軍事力を兼ね備えた国は、日本しかなかったことも明白でした。
  そして今、ミャンマー(ビルマ)建国記念日には、日本の「軍艦マーチ」や「日本陸軍の歩兵の歌」が流れ、フィリピンの独立記念のポスターには日本軍のポスターが貼られると共に神風特攻隊を英雄と称え、インドIndiachandraのオールドデリー市街のチャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像が建立されるなど、日本が植民地解放と人種差別撤廃のために戦ったことを称賛しているのに、当の日本人は未だに自虐史観の中にあります。白人支配から独立を勝ち得た国々には、日本も素直に喜ぶことが命を懸けて戦った父や祖父の世代の日本人、英霊への礼儀であるはずです。なのに特亜三国と一緒になって、日本は侵略国家だなど叫んでは祖先や先人の冒涜以外の何ものでもありません。クラウゼヴィッツの戦争論を借りれば、大東亜共栄圏や東亜諸民族の解放の旗印で戦った大東亜戦争の勝者は日本やアジア諸国となるはずです。因みに、かつて白人の植民地で奴隷扱いされたASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟するインドネシア・シンガポール・タイ・フィリピン・マレーシア・ブルネイ・ベトナム・ミャンマー・ラオス・カンボジアの10カ国も、経済成長が著しく大東亜共栄圏が完成しつつあり、これは終戦後も諦めずに政治の継続を続けたことが日本の国益の確保につながっていることでしょう。
 「勝負に勝って試合に負けた」とは、単にその場の勝ち負けではなく、大局的に見て、その後に周囲や自身の成長などに及ぼした影響、また争いが収まった後の経済状態や信頼を高めた状況まで含めた視点から言えるはずです。

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2017年3月19日 (日)

アジアを解放した日本に感謝する

 15世紀の大航海時代以降、アジア・アフリカ・アメリカ・オーストラリアなImage1_3どで平和に暮らしていた有色人種は、火縄銃を手にした欧米列強の白人国家から大量虐殺のうえ、土地を奪われ植民地や奴隷扱いをされていました。
 アジア地域も、日本やタイ以外は全て白人から支配され辱かしめを受け、発展も希望もない時代が数百年も続いていました。そして、最後に残った日本は唯一の「アジアの光」、「最後の砦」、「アジアの盟主」として期待されていたのですが、ABCD包囲網という経済封鎖を敷かれ、更に、最後通牒(ハル・ノート)を突きつけられ、「自滅か戦争か」というギリギリの状況下にありました。
 そこで、日本は「座して死を待つより、戦って死すべし」と決断し、アジアの有志と「大東亜共栄圏」、「東亜諸民族の解放」というスローガンを掲げて立ち上がったのですが、欧米列強も「植民地が解放されたら大変」、「小生意気な日本を打ち砕け!」とばかりに戦いの火蓋は切られました。ところが、日本軍は植民地を支配する白人の軍隊を次々と打ち破り、同時期に独立した国々は、インドネシアやベトナム、フィリピンなど七か国に上ったはずでPhoto_2す。更に、独立を維持・継続させるために国民の教育や軍隊の設立と指導、インフラの整備などに力を入れたのでした。勿論、数百年の植民地支配の名残りも強く、それまでの宗主国、オランダ・イギリス・フランス・アメリカなどに忠誠を誓う国民もありましたが、国家の存亡を懸けて戦った日本に対して、今では、特亜三国以外はどの国々もアジアを解放した日本に感謝するとの多くの声があります。
 ただアジア解放の戦いは、米軍による国際法違反の原爆や空爆で戦闘員以外の無辜の民の死者を多く出して、天皇陛下の英断で道半ばで中止されたのですが、戦後の長い期間、GHQによる東京裁51iiv5thuyl__sx350_bo1204203200__2判史観の「日本の侵略戦争」という刷り込み受けた政治家やマスコミ、作家、教育者などから、多くの国民も洗脳されてしまいました。しかし、最近の研究や機密文書「ヴェノナ文書」の公開等から、徐々に真相が明らかになりつつあります。
 ところが、まだまだ日本を貶めたい勢力は、1940年(昭和15年)締結の「日独伊三国同盟」は、大東亜戦争とヨーロッパ戦争を連動させて世界制覇を目指したなどと位置づけています。また、当時から共産党国家・ソ連の南進を恐れ、まずソ連打倒の北進論がありましたが、近衛内閣は昭和16年4月13日に「日ソ中立条約」を締結し、「南進論」の立場を明確にしています。この決定には、ソ連のスパイ、尾崎秀実やゾルゲらが工作して南進決定を促した事実が判明しています。
  これには当時、第一級の思想家で東京裁判でA級戦犯とされた大川周明は、予09389731てから大東亜共栄圏を主張していますので、これを知る尾崎やゾルゲらが「これ幸い・利用できる」と支持し、近衛内閣を工作したことも容易に推測されます。つまり百歩譲って、アジア解放は目的でない。ただの結果論だとしても、開戦を決断した東条首相や、アジア解放論の大川周明の期待通りにアジアは解放され、人種差別の廃止などを果たした日本は評価されるべきで、諸外国の指導者からの感謝の言葉を素直に受け止めるのが自然なことです。
 何も、日本人が無理に真実と結果を捻じ曲げて、貶める必要はないはずです。
 あの戦争では、白人も有色人種も甚大な被害がありましたが、結果的に植民地は全て解放され、人種差別の撤廃などに果たした日本の功績は極めて大きく人類史に永遠に残るはずで、父や祖父の世代が命を懸けて戦ったからこそ、今の日本が存続しており評価されるのであり、もし、日本まで植民地になり奴隷にされていたらと想像すれば、本来の日本人なら自ずと正解が見えてきます・・・Image5Image4 
【KSM】日本はアジア民族を解放し救い出すと言う人類最高の良い事をした
元アムステルダム市長 エドゥアルド・ヴァン・ティン
  https://youtu.be/Eas0BHG3ifc
■武田邦彦
★なぜ白人は日本人を滅ぼしたがるのか?日本の行った戦争に意味は無かったのか? #武田邦彦 #武田教授  
https://youtu.be/TbNU-6QWg7Y
■1943年(昭和18年)11月5日-6日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議
大東亜戦争の大儀・アジア諸国の独立>・
大東亜会議・大東亜結集国民大会・東條首相演説   
https://youtu.be/YWu2KHQDWFQ
 

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2017年3月14日 (火)

やはり、技術立国・日本は強い。

 石油と観光しか取り柄がないとされるサウジアラビアが、石油に2017314_mage2依存しない国を目指すそうです。日本は、米国からシェール層の原油や天然ガスを安定輸入できる見通しや、将来は近海のメタンハイドレートの実用化などから石油不要の時代が到来すると見られ、石油輸出国の焦りもあるのか、サウジアラビアのサルマン国王が約1千人を伴い来日中です。
 昨日は「サウジアラビア・ビジョン2030」という長期政策を発表し、石油依存経済からの脱却、住宅、医療福祉、教育など生活向上を図る方針を確認していますが、シンガポールの初代首相のリー・クアンユー氏が日本を真似て成功したことを知ってのことでしょう。
 なんだかんだ言っても、資源に頼らない技術立国・日本はドイツと並んで強いという実感です。70年前の戦争で国中が焦土と化した日本やドイツでしたが、あれよあれよと言う間に経済復興を果たした姿に、世界から驚きと羨望の声が上がったものでした。この不屈の精神と復興の速さは、国民一人ひとりが持つ潜在能力であり、伝統と確かな技術に裏打ちされた生産現場だったはずです。しかし、この技術力は突然身に付いたものでなく、縄文からの土器、漆塗り、ヒスイ加工等々の技術をはじめ、種子島伝来の火縄銃を短期間Photo_2で国産・量産化した刀鍛冶、寺院や城郭、橋梁などの建築技術、幕末期、黒船など来航時には蒸気船を真似て造ったり、蒸気機関車の模型から数年後には本物の蒸気機関車を走らせるなどの貪欲な精神は、縄文の昔からの蓄積と民族に備わった知恵があるはずです。果たして、特製タラップや高級車をズラリと並べて訪問したサウジアラビアの成り金集団に、一から学ぶ精神があるのでしょうか・・・・2017316image4
(別紙1)「日・サウジ・ビジョン2030」(概要:日本語)(PDF形式:845KB)PDFファイル

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2017年2月28日 (火)

注目!神戸開催の「RCEP」交渉

 東アジア地域包括的経済連携(RCEP)交渉が、2月27日~3月3日まで16か国が参加し神戸Rcepで始まりました。米国のTPP離脱を表明した中で、安倍総理も「軸足は RCEPに移っていくのは間違いない」と発言しています。RCEPには、天皇皇后両陛下がまもなくご訪問のベトナムやタイも参加しています。
 さて、大東亜戦争後、アジアで工業国として発展したのは、言わずと知れた韓国台湾、 また中国の東北(旧満州国)です。そこは日本が影響力を示し育てた地域でもあります。2010年のASEAN会議に、オブザーバーで出席した韓国代表が、議題とは関係ないAseanimage2日本批判を始めたそうですが、このときインドネシア代表が韓国代表に語った言葉が注目されていました。
 「韓国人はどうやらASEAN諸国を見下しているようだ。我々は確かになかなか発展できないでいる。しかし、もし日本がそばにあったら、現在のようなASEANではなかったはずだ。日本が隣にあれば、どんな国家でも韓国程度の発展はできる韓国の成功は、100%日本のおかげであって、別に韓国が誇れるようなものではない。韓国人が恩を受けた日本人に感謝ひとつできない人達であることが我々にはまったく理解できない。我々は戦前に日本から受けた恩に今でも感謝している。永遠に忘れる事ができないものだ。その結果できたのが、今ここで開催しているASEAN首脳会議である。」と語っています。ASEANと日本の立ち位置をよく表している発言とされます。
 欧米列強による植民地支配は、まず、軍事力で徹底した破壊と殺戮を行い、国民を奴隷として支配下に置き、そこから全てを搾取する政策だったそうです。しかし日本は逆で、その国民の教育水準や軍事力を高め、技術移転や経済支援などによって、その国が日本と共栄することを願ったそうです。このインドネシア代表の発言は、インドネシア人に対するオランダの弾圧と愚民化政策を批判した発言でしょう。
 インドネシアに限らずアジア諸国は、欧米の植民地として数百年も支配され、貧困と隷従に喘いでいましたが、日本軍の国家の存亡をかけた戦いにより、 ABCD包囲網を突破し、植民地軍を追い出したのです。そして、全ての植民地を失った白人国家は富を失い、欧州の片隅で貧乏国家に没落しています。しかし、アジア諸国は逆にASEANRCEPなど様々な共同体構想を模索しつつ発展を続けています。益々、日本の役割が大切なのですが、中国との主導権争いも注目されています。

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2017年2月21日 (火)

天皇陛下のベトナムご訪問の意義

 天皇・皇后両陛下は、2月28日~3月6日までベトナムとタイにご訪問さ2017222image0241_2れ、終戦後もベトナムに残留してベトナムの独立に貢献された元日本兵の家族とご対面されるそうです。元日本兵のご家族はいわれなき差別や、その後のベトナム戦争に従軍するなとでご苦労されたそうですので、陛下との面会できっと名誉回復されることでしょう。
 昭和20年の終戦後も、ベトナムに残留した日本兵約600名は、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ベトミン)に協力し、仏軍の植民地奪還を退けた功績により戦功勲章と抗戦記念徽章を授与されています。しかし、日本は日米安保や共産圏との対立から、評価せずに隠蔽していました。一方、ベトナムも残留兵の活躍を封印していたのですが、日本との関係が改善された近年、ベトナムの新聞がホーおじさんの兵士になった日本兵と題して、日本残留兵が教官を務めたベトナム初の陸軍士官学校元幹部の手記を掲載し、「近代的な軍に変わろうとしていたベトミン軍には日本軍の支援が必要だった」と大きく報じたのでした。
 ベトナム軍は「ベトナム戦争」でも、米・豪・韓国軍などを全く恐れず退けましたが、その不屈の精神や戦術は日本兵教官仕込みだったのです。この経緯からも、日本軍はアジアへの侵略者ではなく植民地解放軍であったことを、ベトナムや日本人は勿論、国際社会もシッカリ認識しImage1_3て欲しいものです。なお、アジア諸国の独立に貢献したのはベトナムだけでなく、インド、ビルマ、フィリピン、カンボジアなど殆どです。日本は、アジア諸国が白人から数百年も植民地支配され、かつ、日本も植民地として狙われている現実から、遂に立ち上がった唯一の国でした。それを認めないのは、特亜三国と東京裁判を受け入れ自虐史観に凝り固まった日本人であり、「戦後レジームからの脱却」は、まず「東京裁判史観からの脱却」であると思います。天皇陛下のアジア諸国のご訪問は、「天皇陛下バンザイ」と命を捧げた英霊の皆様の慰霊であるとともに、勇敢に戦った元日本兵の慰めとなり、脱却の第一歩になるはずです。
米国人弁護士が断罪する東京裁判という茶番 | 書籍編集部コラム
■【正論】歴史共鳴する日越の連帯強化を ジャーナリスト・井上和彦
独立のために戦った元日本兵≫  
 もう一つ、日本ではあまり知られていない日越交流秘話がある。1945年8月15日、大東亜戦争が終結しても、なお約800人の日本軍将兵000204203200_がベトナムに残り、その多くがベトナム独立のために、インドシナ支配を再びもくろむフランス軍と戦ったのである。同年9月2日、ベトナム民主共和国の独立を宣言したホー・チ・ミンは、日本軍の兵器の譲渡を求め、残留日本軍将兵らにベトナム人指揮官の養成を願い出た。かくしてベトナム中部クアンガイに、グエン・ソン将軍を校長とする指揮官養成のための「クアンガイ陸軍中学」が設立された。この学校は、教官と助教官が全員日本陸軍の将校と下士官というベトナム初の「士官学校」であった。クアンガイ陸軍中学は、ベトナム全土から選抜されてやってきた青年が、実戦経験豊富な日本人教官から日本陸軍の戦術をはじめ指揮統制要領を学んだ。フランス軍は目を疑ったに違いない。少し前まで非力だったベトナム人が、見違えるように強くなり、しかも見事な近代戦を挑んできたのだから。現代ベトナム軍の基礎は旧日本陸軍によって作られたのである。そして元日本兵が最前線でベトナム人を率いて戦った。第1次インドシナ戦争ではフランス軍との戦闘で多くの日本人が戦死している。中には、その後のベトナム戦争でアメリカ軍と戦った者もいたとみられている(『世界に開かれた昭和の戦争記念館』展転社)。
■【Front Japan 桜】中朝関係の行方 / 天皇皇后両陛下ベトナム訪問と独立戦争を戦った残留日本兵-井川一久氏に聞く[桜H29/2/21]
    https://youtu.be/-Fo2ct5gFnA
 

第1回 仏印進駐の知られざる物語
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0802.php

第2回 植民地政府を解体した一夜の奇襲作戦
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0823.php

第3回 ホー・チ・ミンの軍隊で戦った日本人
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0906.php

第4回 現地校卒業生、命がけのベトナム残留
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_0920.php

最終回 源流は大東亜戦争にあり──戦後日本のベトナム支援
http://web.soshisha.com/archives/vietnam/2007_1004.php

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2017年2月17日 (金)

アジア諸国の発展と大東亜戦争

 白人から数百年に渡り植民地支配され奴隷扱いされていたアジImage1_3_2ア地域が、次々と独立して著しい発展をしていることは、大東亜戦争で玉砕や特攻等で命を捧げた英霊の方々の功績が大きいと思います。
 天皇・皇后両陛下が2月28日~6泊7日の日程で、ベトナムとタイをご訪問されるそうです。東南アジア地域では「天皇陛下バンザイ」と未来のアジアと日本を信じて、命を捧げた多くの英霊が、反日国家や反日日本人から侵略者や犬死などと辱めを受けおり、その汚名をそそいで欲しいものです。
 「大東亜戦争」で、東南アジアを植民地支配していた米・英・蘭・仏などの白人を追放して独立した国は、フィリピン、ベトナム、ラオス、ビルマ、カンボジャ。終戦後に奪還に戻っても、日本軍が現地人編成の軍隊と共に追い払い独立したのは、インドネシア、インド、スリランカなどでした。つまり、大東亜戦争なくしてアジア諸国の独立など無かったはずです。どこまでも批判的な人は、アジア諸国の独立は時代の趨勢であり、「日本が自慢をする話しではない」などと軽蔑的に語っても、白人軍隊を追い出して独立した国の年月を知れば明白です。これにも、「見せかけの独立で、後で奪うつもりだ」などと失笑する方もおりますが、そんな独立では現地人軍隊を強化してから奪い還すことになり有りえないことです。
 また、人種差別Kvzhd_1929_01を撤廃し人類の平等を実現するという国是「八紘一宇」の精神まで、「侵略を正当化するスローガンだ」などと批判をしています。更に「現地人も日本軍に殺された」との主張ですが、植民地にされたことは米・英・仏・蘭など宗主国の督戦隊懲罰隊から現地兵が銃を突きつけられ、最前線に立ったからには戦死者も出たはずです。この戦法は日本以外どの国にもあったそうで、強制徴用した現地兵(普段着のままの便衣兵 が多い)や、米軍では黒人兵が恐怖から敵前逃亡しようとすると、白人の督戦隊 が後方から銃殺したのです。(※米軍はフィリピン兵を盾にしたり、沖縄上陸作戦では黒人部隊を先に投入したとされる)
  繰り返しますが、大東亜戦争は主に1941年12月8日~1945年8月15日の終戦迄で、アジア地域を植民地支配していた白人連合軍との戦いでした。目的は大東亜共栄圏の建設であり、亜細亜同胞が白人から何百年にも渡って、搾取され奴隷扱いされていたことや、日本も植民地支配される虞が迫っていたのであり、「事態ここに至る。座して死を待つより、戦って死すべし」という武士道精神が発露され、当時の国力では不利を覚悟で戦いに臨みながらも短期間で次々に独立を勝ち得ています。Image
1943年9月4日にフィリピン第二共和国がアメリカから独立、
1943年8月にビルマ国がイギリスから独立。
1943年10月にはインドネシアがオランダから独立
1945年 3月にベトナムがフランスから独立。
1947年にインドパキスタンがイギリスから独立。
1948年にスリランカ(セイロン)がイギリスから独立。
1948年にビルマ連邦がイギリスから独立。
  日本軍の中には大東亜解放の大義を信じて、終戦後も祖国に帰還せず、ベトナムやインドネシア独立戦争に身を投じた数千人の元日本兵もいたのです。特に、ベトナムでは約800人の日本兵が残留し、ベトナム独立戦争に参戦し戦死した日本兵は英雄として顕彰されています。このような方々がナゼ侵略者なのですか
■タイの元首相・ククリット・プラモートは、
 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのはいったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない」と述べています。
■マレーシアの元外務大臣のガザリ・シャフィー氏は、
 「日本はどんな悪い事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」と語っています。
■マレーシアの元上院議員のジャー・ダト・ノンチック氏は、
 『日本軍はマレー人を一人も殺していません』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英国に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。どうしてこのように今の日本人は、自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。」と語っています。
■韓日文化研究所の朴鉄柱は、
 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。」Image1_3と語っています。
 プロイセンの将軍カール・フォン・クラウゼヴィッツは、『戦争論』で、「戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる」と述べています。あの戦争によって、植民地を奪われた白人国家は、欧州の片隅で「EU(欧州共同体)」を組織してどうにか生き延びています。逆に、東南アジア10か国から成る「ASEAN(東南アジア諸国連合)」は、高い経済成長を見せており世界から注目されています。よって、「天皇陛下バンザイ」と散った英霊も、植民地支配から解放された東南アジア諸国も、「日本は侵略した」、「あの戦いは間違っていた」などと思っていないはずです。

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2017年1月26日 (木)

アジアの植民地を解放したのは日本

 アメリカ生まれの著作家 弁護士で知られるケント・ギルバート氏が、日本人に対してこのように語っています。0071rvcktqt8l__ac_ul320_sr214320_
 日本人は、「白人は優秀で有色人種は劣っている」という当時の常識は間違いだと身を持って証明したうえで、植民地を解放して独立させ、アジア人が共存共栄できる世界を目指すという「大義」を掲げた戦争を始めた。それが「大東亜戦争」である。戦争に負けた日本は自国の「正義」を語る権利を奪われた。だが、大東亜戦争で日本が掲げた「大義」は生き残り、後に見事達成された。その意味で日本は勝者だった。世界中に誇るべき大義の存在を戦後生まれの日本人に知らせないために、GHQはマスコミに「大東亜戦争」という言葉の使用を禁じて「太平洋戦争」と言わせた。この事実すら知らない日本人が多いことに驚く。」
 アメリカ人であっても、日本に対するこれだけの知識と好感度を示して熱く語ってくれています。下段の動画で、アジア・アフリカの殆どの諸国が、白人からの植民地だったこと。日本も幾度も植民地にされそうになったことや、その植民地解放のために立ち上がったのが日本だったことを勉強しましょう。
ケント・ギルバート氏講演『陰謀のレールに乗せられた日米開戦への道のり』
 2016.2.21〈歴史・公民〉東京塾#3
  https://youtu.be/0h4ZtiOEV4s

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2017年1月 9日 (月)

核は戦争を終わらせる為に使う?

 北朝鮮やイスラム国が「戦争を早く終わらせるため核を使った201719_mage」と攻撃後に語ったら、攻撃された国や国連は何とコメントするのだろうか・・・
 さて、北朝鮮が、米本土を攻撃できる能力を持つ大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験の最終段階に入ったと表明したことに、トランプ次期米大統領は「そのようなことは起きない(It won’t happen!)」とツイッターに投稿しています。この意味は、米本土を攻撃する能力を、「北朝鮮に、まだそのような能力はない」と否定したのか、自分が就任後は「そんなことは絶対に起こさせない」とけん制したのか曖昧です。勿論、北朝鮮は「我々のICBM開発は、米国の核戦争の脅威に対処する自衛的国防力強化の一環だ」と主張。また、トランプ氏は、北朝鮮の核問題に対する中国の姿勢に、「北朝鮮問題を解決しないならば、中国を潰してしまえ」」とコメントすると、これに中国は「北朝鮮の核問題に対する中国側の努力は誰の目にも明らかだ」と反論し、三者ともに、並々ならぬ決意を感じさせます。このような中、台湾の蔡英文総統は7~15日まで中米4か国の歴訪前に、経由地の米国ヒューストンで共和党議員らと会談し関係強化の動きも見せています。よって、世界は今、間もなく誕生するトランプ次期政権は対中東戦略と同時に、どのような対アジア戦略、対北戦略をとるのか最も注目しています。
 昭和20年 7月16日、ポツダム会談の最中に世界初の核実験「マンハッタン計画」 が実施され人類史上最強の破壊兵器を手にすると、「今が効果を試すチャンス」とばかりに、降伏寸前の日本に二発の原爆を投下し一般市民を大量虐殺したことは、その後の国際情勢や軍事バランスに大きな影響を与えています。米国は原爆使用を、「日本との戦争を早く終わらせるためだった」と主張していますが、この「戦争を早く終わらせるため・・・」と言う理屈は、北朝鮮やイスラム国が米本土攻撃に原爆を使っても、正当化されることになります。
 そのときアメリカは「過ちは繰り返しません」とコメントするのだろうか・・・

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2017年1月 4日 (水)

米国人も日本のアジア解放を評価

 欧米白人国家による、アジア諸国を300年以上も続けていた植民地支配から日本が解放したことも、 中国大陸や朝鮮半島を共産主義勢力から守る戦いだったことも事実と知られるようになりました。0000057
 「それは結果論で日本が自慢することでない、後付けだ」などと軽くかわす人が多く見られますが、「アジア解放が目的」だった証拠は、昭和天皇の「大東亜戦争 開戦の詔勅 」の確認や、戦前と戦後のアジアの地図を比較すれば一目瞭然と思います。よって、あの戦いを「間違いだった、侵略だった」と語ることは戦場で散った250万余からの英霊に対する冒涜です。
 そのことを、米国・フリーランスジャーナリストの「マイケル・ヨン(Michael Yon)」氏も気が付いて、自国だけでなく世界に向けて力強く発言していることは痛快なことです。アジア解放者としての日本 はやや旧聞に属することですが、このような正論から、多くの日本人がGHQから刷り込まれた「侵略戦争」「罪の意識」の呪縛から解き放たれることを願っています。
アジア解放者としての日本  2015年8月30日
  http://michaelyonjp.blogspot.jp/2015/08/japanese-as-liberators-in-asia.html
---引用---00000918_l_2
 昨晩私はインドネシアのジャカルタから、此所タイのカンチャナブリ(クワイ川鉄橋のある町)に到着した。慰安婦問題について調査するためである。そして今朝鉄道建設という側面から同じ研究を志すタイ人の研究者にお会いした。(昨晩私はカンチャナバル上空を日本の国旗をつけた飛行機が飛んでいくの をみた、これは偶然かもしれないが興味深いことであった)昨日私は米国がインドネシアの独立を後押ししたと発表したが、それに対してネットあるいはネット以外でも多くの反論が寄せられた。彼らの多くは米国がインドンシアの独立を助けたなどと言うのは嘘であると言う。しかし、それは違う。実際に米国はインドネシアの独立を支援したのである。これは本当である。日本という国はその短い帝国主義国家としての歴史について多くの批判に曝されてきた。しかし、真実はそれほど単純なものではない。是非以下に述べる拙文を読んでほしい。これは私がジャカルタのインドネシア戦争博物館で見聞きしたものである。
----中略----日本軍がいなければ、インドネシアはオランダに隷属し続けたであろう現在、インドネシアで日本は多くの尊敬と信用を得ている。 今日、インドネシア人は自信に満ちあふれている。何故なら彼らは自ら戦い自由を得たからだ。そして米国はささやかながらもその独立の力添えをした。日本軍がアジアにおける欧米植民地主義に終止符を打たせたと言うこと、この歴史的事実に疑いの余地はない。独立後、インドネシアは独自の帝国主義は開始したともとれるが、しかしそれにより無実の犠牲者が発生したとか、完璧に邪悪なる指導者が現れたという話も聞かない。私は何度もインドネシアを訪問したが、嫌な思いをしたことなど一度もないし、インドネシアの人々はいつも好意的で、欧米人と話すことを嫌がらずに会話を楽しんでくれる。これが今日私が言えることである。
アジアの「慰安婦」を徹底追跡! マイケル・ヨン現地ルポ - iRONNA
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マイケル・ヨン氏の記事の日本語訳(二カ国語)|ケント・ギルバート
【慰安婦問題】テキサス親父の発言に海外ネットも称賛
  https://youtu.be/PJ1U8ZjvYJ0

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