01、個人的に関心を持った話し

2017年5月28日 (日)

森友や加計は蟻の一穴になるか

 「王道政治」とは、仁と徳によって民を治めることであり、一方、「覇道政治」と00203200_は、武力や権謀を持って治めることで、覇者は私的な野望の具現者とも言われています。
 江戸幕府御三家筆頭・水戸家の水戸光圀公が編纂を命じた『大日本史』によって、武士による覇道政治は、いずれ別の覇者に奪われるという事実を発見しますが、幕末には尊王攘夷の思想を生み出し、多くの幕末志士に影響を与えたとされます。つまり、武士による「覇道=戦いで勝ち取った権力=武家政権」であり、力で奪取したものは力で再び奪い取られる。一方、天皇による「王道=君主による人徳に基づく政治=天皇」であり、天皇のカリスマと徳性によって途絶えることなく続くと分析したとされ、結果的にその通りになったと思われています。
 今、日本の政治も自民党一強による安倍晋三首相の長期政権によって、一見、王道政治を歩んでいると見られていますが、実際は奪いとった政権であり、いずれ奪還される運命にあります。その奪還方法Imageは、手段を選ばず崩壊させることにあり、「千丈の堤も蟻の一穴から」とされ、どんなに堅固に作った堤防も、蟻が開けた小さな穴が原因で崩れることもあります。
 最近、野党やマスコミは森友学園や加計学園問題、閣僚の失言などから、この「蟻の一穴」を開けようと必死です。勿論、単なる「言いがかり、因縁を付けている」と見ていますが、こんな人達の心理状態は、「ストレスの固まりで、辛い精神状態にあり、地獄のような心で、幸せそうな人や組織を見ると、引きずり落としたくなる」のでしょう。日本だけでなく、多く政治家は、政権を奪うために権謀術数を駆使して政局を作るためには、揚げ足とり、作り話、「嘘八百」を並べるなど、どんな汚い手段も選ばないのが、多くの政治家やマスコミなのでしょう。

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2017年5月24日 (水)

「テロ等準備罪」ナゼ必要か

 国際組織犯罪防止条約を締結しないと、日本人は「ノービザ渡航が出来なくなる」ことと、日本が外国から「テロ情報の提供を貰えない」虞があります。Image3_2
 この条約には187の国と地域が締結し、国連加盟国で未締結国はたったの11か国、G7では日本だけです。日本は国連信仰が強く、何ごとにも国際基準を求める傾向が強いのに、ナゼ締結しないのでしょうか。
 経済評論家の渡邉哲也氏は、「テロ準備罪を含む国際的なテロ規制を満たせない場合、日本人のノービザ渡航が出来なくなり、ESTA(米国ノービザとその関係国)とETIAS(欧州とその関係国)への入国が制限(国際合意で2020年をめど) 企業の輸出や資金調達にもペナルティ(多くが倒産)でもいいという話だ」と忠告しています。また、「テロ等準備罪」を新設すれば、「国際組織犯罪防止条約」の締結が可能になり、他国の捜査当局とテロ関連情報交換できるケースが大幅に増えるそうです。
 それから対象犯罪を、死刑、無期又は長期4年以上の懲役又は禁錮に当たる重大な犯罪に限定していますが、これは国際組織犯罪防止条約が、重大な犯罪、すなわち「長期4年以上の自由を剥奪する刑又はこれより重い刑を科することができる犯罪」を共謀罪の対象犯罪とすることを義務付けているからで、これ以上限定することは、条約上できないのに、277罪は多すぎると反対しています。次の動画では、「テロ等準備罪」はナゼ必要なのか、或いは反対するのかを、「赤穂浪士の討ち入り」、一般の団体が犯罪集団に変わることもありうる事例に「オウム真理教サリン事件」を上げて語っています。

Image2_2

深層NEWS テロ等準備罪で何が変わる?   https://youtu.be/5UPEo5byPL0  

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2017年5月23日 (火)

運動会の紅白色分けと源平合戦

 昨日はある小学校の側を通りがかると、子供たちが紅白の帽子をかぶりGatag00005888運動会の予行練習の場面に出合わせ、遠い昔に思いをはせていました。郷里の富士宮は源平合戦があった場所で、源氏は白旗、平氏は赤旗を掲げて、敵味方区別して戦ったことが運動会などで紅白に分けた起源とされます。よって、富士宮辺りでは、子供達にも平家側とされた紅組になることは嫌われた上、名前に「〇清」などと清が付いていると、あだ名は決まって「清盛」などと呼ばれたもので、今でも子供に「清」君や「清〇」さんなどの名は少ないはずです。
 ところが、平清盛による日本の今の繁栄につながる数々の功績を知ったのは、後のことでした。まず、700年間続く武士の世の礎を作った事に加え、大量の宋銭を輸入し貨幣経済を浸透瀬戸内航路の整備、国際港として神戸港の整備学問の進歩に貢献、世界遺産厳島神社の建立などを上げることが出来ます。一方、源氏方は治承・寿永の乱(源平合戦)には勝利はしたものの、その後の源氏は何かと失策が続き、間もなく北條(平氏)が執権となり、その北條も足利(源氏)に倒されるなど一進一退の世が続きました。更に、戦国の武将も、出自を源氏・平氏と色分けされ、一時、平氏の織田信長が政権をとるも、結果的に源氏方とされる徳川が制し、その江戸幕府は264年間も続くことなりますが、それも、源平どちらでもない薩摩・島津と長州・毛利との連合軍に滅ぼされ、明治新政府を開いています。
 その新政府も、70数年前、米国に壊滅的打撃を受け、今また長州出身の総理大臣・安倍晋三氏が建て直しに懸命です。なぜか今、格言「転ぶのは恥ではない、転んだままでいるのが恥なのだ」を思い出しています。運動会も戦争もよく転ぶものですが、この日本も何時までも転んでいないで早く立ち直って欲しいものです。Image1
  なお、源平の個所を整理しますと、
平氏政権 平氏:平清盛の一族
鎌倉幕府 源氏:源頼朝の一族
鎌倉幕府 平氏:執権北条氏得宗家
室町幕府 源氏:足利氏
織田政権 平氏:織田信長~豊臣政権、豊臣氏
江戸幕府 源氏:徳川氏  となるはずです。

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2017年5月22日 (月)

おだまきの花言葉は勝利・心配

 郷里の富士宮市には富士川が流れ、 平安時代Image7の治承4年10月20日(1180年11月9日)「富士川の戦い」があった所で、源氏側20万騎、平氏側7万騎が集まったとされ、近くには「狩宿の下馬桜」など、多くの伝承や史跡があり、街の殆どの人は源氏贔屓のようです。
 面白いのは、頼朝は白糸の滝で「この上に いかなる姫や おはすらん おだまき(苧環)流す 白糸の滝」と詠んでいますが、その後、義経の妾である静御前も、それを返すように、苧環(おだまき)を詠っています。この詩は、義経が兄・頼朝に追われ、吉野の山中で静御前と離れ離れになり、間もなく静御前は捉えられ鎌倉に送られ、頼朝の前で舞いながら詠ったとされ、静御前の舞として伝わっています。    
  しづやしづOdamaki_image1
 しづの苧環(おだまき)繰り返し
 むかしを今に なすよしもがな
 吉野山 嶺の白雪 ふみわけて
 入りにし人の 跡ぞ恋しき

 今風なら、「いつも私を、しず、しず、苧環(おだまき)の花のように美しい静と呼んでくださった義経様 幸せだった あの時に戻りたい・・・」とでもなるのでしょう。静御前の舞は、今も「鎌倉まつり」などで再現されていますが、NHKの大河ドラマ「義経」で魅せた石原さとみの舞は圧巻です。なお、オダマキの花言葉は色で違い、白は「あの人が気がかり」、赤は「心配している」、紫は「勝利」、花の色に関係がなく「愚か者」だそうですから、頼朝や静御前は何色をイメージしたのか・・・0000582618
 ※ 日本に花言葉が入ったのは19世紀末と言われますが、頼朝も静御前も、まるで知っていたかのような詩です。また、5月22日は鎌倉滅亡の日とされ、新田義貞は分倍河原の合戦で勝利すると一気に鎌倉を攻め落し、北条高時をはじめ一族は1333年5月22日、鎌倉の東勝寺で自刃、140年余り続いた鎌倉幕府は滅亡。府中市の南武線と京王線の分倍河原駅前には、鎌倉を目指す「新田義貞公(正式名は源義貞)」の馬上の像があります。

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2017年5月20日 (土)

彦根の「ひこにゃん」と「招き猫」

 題名は、「彦根城と豪徳寺の関係」か「彦根城=ひこにゃん」&「豪徳寺=招き猫」とすればピンと来る方も多いと思われます。Image4
 さて、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」は、彦根藩初代藩主で徳川四天王の一人、井伊の赤鬼と恐れられた井伊直政の育ての親、おんな城主・直虎との逸話が主です。このドラマでは、戦国時代に遠江国井伊谷(静岡県浜松市引佐町)に実在した女性・直虎が、一族の滅亡の危機を救うべく、女ながらに井伊家の当主となり、後の直政を育てたとされます。この井伊家は徳川家と血縁で、徳川幕府のボディーガード兼側近中の側近として重用され、特に、幕末には井伊直弼が大老職に就いたほか、歴代藩主からも何人も大老に就任されるなど話題満載です。
 特に面白いのは、井伊直弼は彦根藩藩主の14男として誕生しており、まさか自分が藩主になるとは思ってもおら0000000000265804f_3ず、ちゃ(茶)・(歌)・ぽん(提太鼓)に没頭する毎日から、「チャカポン(茶・歌・鼓)」とあだ名されていたのに、それが32歳で突然藩主となり、且つ大老職に就任し、実質、幕府の最高責任者として、日米修好通商条約の締結、安政の大獄、桜田門外の変など、歴史の表舞台に登場します。
 ところで、平成の平和な世では、2010年・ユルキャラ初代チャンピオンに輝き、ブームのキッカケになった彦根市の「ひこにゃん」ですが、このひこにゃんのキャラはと井伊軍団の象徴の赤備えの兜を合体したもので、ナゼ、猫かと言うと、鷹狩り帰りの彦根藩二代藩主・直孝公を豪徳寺(世田谷)の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”発祥の地からでしょう。きっと、「ひこにゃん」はチャカポンもイメージして、招き猫が赤備えの兜を被っているはずで、互いに相乗効果があることでしょう。なお、 豪徳寺は世田谷区豪徳寺2-24-7で、小田急線豪徳寺駅から徒歩で13分、世田谷線宮の坂駅から徒歩で3分です。

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2017年5月19日 (金)

自分の生誕地を観光地化した二人

 日本が国を挙げて世界遺産登録に熱心なのは、街起こし、観光地化が目的と思われ1baますが、空海や足立美術館の足立全康は一人の力で生家を一大観光地に成功したのですから凄いことです。
 郷里の静岡県出身で事業に大成功した、トヨタ自動車グループの創始者、豊田佐吉の生誕は静岡県湖西市山口113-2、また、本田技研工業(:ホンダ)の創業者・本田宗一郎の生誕は静岡県磐田郡光明村(現在の浜松市天竜区)ですが、日本全体の経済や自動車産業の発展には多大なる貢献をされたものの、ご自分の生誕の地には、それほど力を注いでいないと思われます。Image7
 このお二人に比べると、平安時代の弘法大師・空海は若くして遣唐使の留学僧として、中国(唐)に渡って真言密教を学ぶと共に、天文・地勢・土木・医薬・語学等のオールラウンドの知識・技能・文献を修得して日本に持ち帰り、全国津々浦々で「空海伝説」が語り継がれています。そして自分の生誕の地に、父の名・佐伯善通から善通寺と名づけた寺を、813年、先祖の菩提を弔うために創建された他、四国全域には「八十八ヶ所巡り(殆どが真言宗)」を広めております。
  また、島根県能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町)の足立美術館は、昭和45年に足立全康が71才で郷土への恩返しと島根県の文化発展の助けにと創設し、今では出雲大社巡りと共に全国から来訪者は絶えません。足立全康は明治32年(1899)2月8日生まれで、小学校卒業後、生家の農業を手伝いながら、14才で安来の港まで15kmを大八車で木炭を運搬しながら炭の小売りをするなど、様々の事業を興し、戦後は大阪で繊維問屋、不動産関係などで成功したそうです。また、興味をもっていた日本画を収集や庭造りへの関心も膨らみ、横山大観などの近代日本画、北大路魯山人や河井寛次郎の陶芸、平櫛田中の木彫、林義雄の童画等々、総数約1,500点が展示されています。写真はかつて訪問したとき撮影したものです。

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2017年5月18日 (木)

熊谷市は「直実公の故郷ぞ♬♬」

 先日、所用で上越新幹線で熊谷辺りを通過したとき連想したのは、Image1「ここ武蔵野の大里は関東一の旗頭 直実公の故郷ぞ」の歌詞でした。また、昭和8年、山形で記録した最高気温40.8℃を、平成19年、74年ぶりに熊谷市と多治見市で40.9℃を記録。これから、熊谷は「あついぞ!熊谷」とハンディを逆手に町おこしをしています。少し暑くなると、熊谷市民がマイクを向けられ「熊谷は暑い以外何も無いから・・・」と自虐的に語ったコメントをテレビで流していました。このときも敦盛を討った源氏の熊谷直実(なおざね)がいるのに、と思ったものでした。
  「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか・・」は、信長が好んだとされる幸若舞の敦盛の一節です。敦盛は清盛の甥で、一の谷の戦いで海に敗走する若干15・6歳の敦盛に、43歳の歴戦の勇士・直実が戦いを臨み、泣く泣く首を討ちとることになります。この「人間五十年・・・」は敦盛をやむを得なく討ち取り、世の無常を感じて出家した直実の嘆きの言葉です。
 なお、幸若舞の敦盛の一節を好んだ信長の首塚は、我が故郷・富士宮の西山本門寺にあります。信長は1582年6月21日、本能寺の変で討ち死にしますが、家臣が持ち出し富士山を望む西山本門寺に納めたという伝説です。また、静岡県藤枝市にある真宗大谷派の寺院・熊谷山「蓮生寺」は熊谷次郎直実に縁ある寺です。
直実ぶし」 作詞:栗原ひろし 作曲:明本京静
1 秩父の峰の雪白く Photo
  名も荒川の風寒し
  ここ武蔵野の大里は
  関東一の旗頭
  直実公の故郷ぞ
  【挿入歌】
  一の谷の戦破れ
  討たれし平家の公達哀れ
  暁寒し須磨の嵐に
  聞こゆるはこれぞ青葉の笛
2 源平須磨の戦いに
  花も恥じらう薄化粧
  智勇兼備の将なれば
  敦盛の首討ちかねて
  無情の嵐胸をかむ
3 人生うたた五十年
  夢まぼろしに似たるかな
  今は栄位もなにかせん
  あまねく人を救わんと
  その名も熊谷蓮生坊
4 流れて早き年月に
  武蔵野山河変るとも
  阪東武者の精神(こころね)は
  われらが胸に今もなお 
  生きてぞ通う直実ぶし
直実ぶし YouTube  
 https://youtu.be/GBurOhB1Syk

◆N4 青葉の笛 倍賞千恵子   https://youtu.be/oYl4ffnf3Q8  

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2017年5月17日 (水)

日本が世界遺産登録に熱心なのは

 郷里の発展は誰でも願うことで、世界遺産に登録されるなど観光資源に恵まれた地域は税収面などで何かと有利と思います。00world_heritage_sites_in_japan_ja_まだ世界遺産登録されてなくても、元々が優れた景勝地、史跡、遺跡、文化、温泉、産業などの資源を活用した地域の活性化は、何処でも熱心な取組みが行われているようで、観光客の増加につながっていると思われます。
 さて、「神宿る島 宗像・沖ノ島と関連遺産群」が2017年の世界文化遺産登録を目指す国内候補に決まったそうですが、登録されれば日本で21番目の世界遺産となります。この「世界遺産条約」は、1972年(昭和47年)にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」が始まりで、これに日本がようやく加盟したのは1992年(平成4年)で、先進国では最後の126番目の加盟でした。
 最近では、これほど熱心な「世界遺産条約」にナゼ20年も加盟しなかったのか
 その理由は、加盟国となれば世界遺産基金への分担金拠出、遺産の保護等の援助金の増額、且つ、日本のような経済大国では、世界遺産登録されても支援金は全く貰えない等の理由があったそうです。そして1993年には、日本第1号として「白神山地」「屋久島」の自然遺産と「姫路城」「法隆寺地域の仏教建造物群」の文化遺産が登録され、今では、20か所が登録されるもユネスコからの補助金は皆無です。よって、日本が登録を求めるのは、専ら観光資源、観光誘致が主目的とされ、それでも登録で遺産が破壊から守られるなら目的を達したとみるべきでしょう。なお、日本の遺産登録や登録を目指す所は、数万年前の石器時代や1万年以上前の縄文時代からの、悠久の歴史と文化、伝統が育んだ世界でも無二の国であることを誇りにしたいと思います。
「玉川上水」世界遺産登録に期待: 大日建設の社長日記 2015年6月23日
世界遺産登録を目指している日本の世界遺産候補地
•北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群 – (北海道、青森、岩手、秋田)
•金を中心とする佐渡鉱山の遺産群 – (新潟)
•国立西洋美術館本館 – (ル・コルビュジエの建築と都市計画の一部として) – (東京)
•武家の古都・鎌倉 – (神奈川)
•彦根城 – (滋賀)
•百舌鳥・古市古墳群 – (大阪)
•飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群 – (奈良)
•宗像・沖ノ島と関連遺産群 – (福岡)
•長崎の教会群とキリスト教関連遺産 – (長崎)
•北海道東部の窪みで残る大規模竪穴住居跡群 (北海道)
•最上川の文化的景観-舟運と水が育んだ農と祈り,豊饒な大地- (山形県)
•松島-貝塚群に見る縄文の原風景 (宮城県)
•水戸藩の学問・教育遺産群 (茨城県)
•足尾銅山-日本の近代化・産業化と公害対策の起点- (栃木県)
•足利学校と足利氏の遺産 (栃木県)
•埼玉古墳群-古代東アジア古墳文化の終着点- (埼玉県)
•近世高岡の文化遺産群 (富山県)
•立山・黒部~防災大国日本のモデル-信仰・砂防・発電-~ (富山県)
•城下町金沢の文化遺産群と文化的景観 (石川県)
•霊峰白山と山麓の文化的景観-自然・生業・信仰- (石川県・福井県・岐阜県)
•若狭の社寺建造物群と文化的景観-神仏習合を基調とした中世景観 (福井県)
•日本製糸業近代化遺産~日本の近代化をリードし、世界に羽ばたいた糸都岡谷の製糸資産~ (長野県)
•善光寺と門前町 (長野県)
•松本城 (長野県)
•妻籠宿・馬籠宿と中山道-『夜明け前』の世界- (長野県・岐阜県)
•飛騨高山の町並みと祭礼の場-伝統的な町並みと屋台祭礼の文化的景観- (岐阜県)
•天橋立-日本の文化景観の原点 (京都府)
•近世岡山の文化・土木遺産群-岡山藩郡代津田永忠の事績- (岡山県)
•三徳山-信仰の山と文化的景観- (鳥取県)
•萩-日本の近世社会を切り拓いた城下町の顕著な都市遺産 (山口県)
•錦帯橋と岩国の町割 (山口県)
•山口に花開いた大内文化の遺産-京都文化と大陸文化の受容と融合による国際性豊かな独自の文化- (山口県)
•四国八十八箇所霊場と遍路道 (香川県・愛媛県・徳島県・高知県)
•宇佐・国東-「神仏習合」の原風景 (大分県)
•阿蘇-火山との共生とその文化的景観 (熊本県)
•竹富島・波照間島の文化的景観~黒潮に育まれた亜熱帯海域の小島~ (沖縄県)

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2017年5月16日 (火)

日露海戦勝利の陰にアルゼンチン

 舞鶴港は日露戦争当時から、戦艦三笠などの母港と知られ、街の通り名は三笠通Photoりや武蔵通りをはじめ、八島・敷島・朝日・出雲・春日・大和などの戦艦名が付けられ、今も日本海側唯一の海上自衛隊基地としてイージス艦などの母港です。また、「母は来ました 今日も来たこの岸壁に 今日も来た・・・」とソ連抑留から引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母を唄った岸壁の母の舞台でも知られ、かつて、そんな情景に触れたく訪問したことがありました。
 さて、5月18日から20日まで、マウリシオ・マクリ・アルゼンチン共和国大統領が訪日しますが、安倍首相も日露戦争で活躍した戦艦「日進」「春日」は、アルゼンチンから譲渡を受けた戦艦だったエピソードにも触れるはずです。同戦艦は、明治38年5月27日~28日、旗艦「三笠」に座乗した東郷平八郎率いる聯合艦隊の主力戦艦として、当時、世界最強のバルチック艦隊と対馬沖で交戦し、これを撃滅し日本を勝利に導きました。Image3
 実は、この二隻の戦艦はアルゼンチンがイタリアに発注していたものを、日露関係が悪化していたことから、日本が譲渡を願い出て「日進」「春日」と命名した歴史がありました。そして、日露海戦の時は、アルゼンチン海軍を代表してマヌエル・ドメック・ガルシア大佐(後の海軍大将・海軍大臣)が観戦武官として「日進」に乗艦し、戦況を外国人の立場から観戦した報告書が公開されています。そして、この戦艦譲渡の経緯から友好関係が今に続いています。
 なお、1982年の「フォークランド紛争」では、アルゼンチン沖の英国領フォークランド諸島をアルゼンチンが武力で占領し紛争となりましたが、英国の圧倒的勝利で終わりました。この島はイギリスは1832年に軍事占領し1843年には総督府を設置し、イギリス領と主張。一方、アルゼンチンは1816年にスペインから独立した時にアルゼンチン領になったと主張し今も奪還を狙っており、近年、中国と関係を深める動きもあるそうですから、日本の立場も微妙です。

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■日本海海戦1.
   https://youtu.be/RFt60lGX-KI

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2017年5月13日 (土)

朝日新聞は旭日旗を擁護すべき

 「朝日新聞はなぜ社旗である旭日旗に対する侮辱に抗議しないのか」と語る方がおりました。韓国で2017513_image1_2旭日旗を日本の軍国主義の象徴と捉え、サッカーの日韓戦などで観客席に掲げられたとして度々抗議を受けていますが、朝日はどう考えているのでしょうか。
 4月25日も、ソウル近郊の水原で行われたサッカーのアジア・チャンピオンズリーグ、川崎と韓国・水原の試合で、水原サポーターが川崎サポーターの掲げた「旭日旗」に抗議して旗を取り上げる騒ぎがありました。
 ただ、日本のやる事・成す事全てが気に入らない韓国の国民ですが、朝日新聞の旭日旗には何も文句を言わないところは面白いことと思っていましたが、ナゼなのか、そのヒントが少しだけ見えました。作家・百田尚樹の『カエルの楽園』では、権威的なカエルの「デイブレイク」(daybreak=夜明け)は朝日新聞を指すと思われ、また「day + break」は「日を壊す」となり、つまり日本の破壊者という意味があると見られるそうです。そして、『カエルの楽園』の三戒は「①カエルを信じろ、②カエルと争うな、③争うため000_sx333_bo1204203200_力を持つな」の三つは、憲法第九条を指すことは明らかで、なかなか意味深なネーミングです。
 なお、旭日旗は快晴を意味し、「軍艦旗=国際法上の国籍識別旗」であり、紅白と併せてめでたいこととされ、古くから使われていることを、もっとアピールすべきと思いますし、朝日新聞も「日本の破壊者」と誤解されないよう擁護すべきでしょう。0000_201301041610020

残念ながら、彼らは #カエルの楽園 を読んでも洗脳は解けないと思います…"@Rain4192:カエルの楽園は是非朝日新聞の関係者にも読んで欲しいですね。
余程のお人好しでなければ自虐史観の洗脳から解き放たれると思うのですが‥
デイブレイク→日本破壊
ワロタ"

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