2019年1月17日 (木)

玉川上水は世界遺産候補になれる?

 最近、五日市街道と玉川上水が併行する小平市上水本町2-19「いろりの里」の隣の小川水衛所跡に暫し立ち寄り、江Suieig0_ato戸時代初期の土木技術の高さと世界遺産のことに想いを馳せました。水衛所(すいえいじょ)は、江戸市民へ安全な飲水を供給の為、水番人が常駐していた所です。江戸初期には、羽村、砂川村、代田村、四谷大木戸に置かれ、更に、明治27年に水衛所に名称変更してからは、熊川、砂川、小川、境、久我山、和田堀、代々木、四谷大木戸に設置しています。目的は玉川上水の水質管理とメンテナンスで、水量調節、持ち場の見廻り、破損個所の修理、ゴミの撤去などを行って水路の維持管理に従事していました。
 聞くところ、都内の世界遺産候補に「国立西洋美術館」に続いTamagawa_image_2て「玉川上水」がありますが、玉川上水が有力候補になるためには、水路環境が歴史の変遷と共に大きく変貌している弱点があります。特に下流部の23区方面では暗渠化や排水路に転用され、その地上部は公園や遊歩道などの所が見られます。
 願わくば、上流部の多摩地域のように復元して欲しいものですが、それには莫大な資金が必要です。もし水路が再生されたなら、その水を江戸城(皇居)の外堀に流せば水質も改善してヘドロも撤去されるはずです。これらと同時に、江戸城の天守閣も再建して、更に、外堀辺りを走るJR中央線は地下化が理想でしょう。
 将来、東京都の予算に余裕が出たなら、是非、実現して欲しいものです。

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2019年1月13日 (日)

役目を終えた?「常夜燈」に想う

 甲州街道に面した国立市谷保6218の「南養寺」入口には「常夜燈」があります。Image
 まるで役目を終えたような「常夜燈」ですが、それでも「火の用心」と同時に「秋葉山から火事」の戒めの諺や 明治天皇も後に「一生の心残り」と悔やんだという「廃仏毀釈」、勘違いから生まれた秋葉原の地名などを連想することがあります。「常夜燈」は「秋葉灯」とも呼ばれ、現代で言うなら「街路灯」や「防犯灯」のような役割りがあったはずです。電力インフラが無く、灯りの少なかった明治・大正の頃までは、夜道の道標として、旅人や村人の暮らしに役立っていたはずです。
 この発祥地は静岡県浜松市の秋葉山とされ、奈良東大寺の大仏建造に尽力したり高尾山薬王院を開いた行基(668~749年)が718年に開山しています。更に、平安時代に三尺坊という修験者が現れ火災を除く神通力を得たとして「火伏の神」として祀られています。この謂れから、人を戒め人の範たる立場の人が自ら過ちを犯してしまうことの喩えとして、「秋葉山から火事」のことわざが生まれています。
 また秋葉山は、神道の「秋葉神社」と仏教の「秋葉寺」に分かれていて、「秋葉寺」は廃仏毀釈されるまで「秋葉神社」を管理監督する別当寺でしたから大変でした。
つまり、明治新政府が断交した「廃仏毀釈」「神仏分離」によって、神道と仏教の立場が逆転し、国宝級の仏像や寺院の破壊、経典の焼却、僧侶は髪を伸ばして還俗(げんぞく)したり、神道の神官に転業したりと宗教界や民衆は大混乱したのでした。
 その「廃仏毀釈」や「神仏分離」が進む明治2年に東京で大火事が発生します。0000002019_618
 明治天皇は焼け野原となった現在の秋葉原駅辺りに、火災除けの緩衝地を設けて「鎮火社」を建立しています。しかし、東京市民は「鎮火社」を秋葉信仰の秋葉三尺坊大権現を祀ったものと勘違いして「秋葉(あきは)の原」と呼んだことで「秋葉原(あきはばら)」の地名になったのでした。後に、秋葉原駅を建設する際に「鎮火社」は上野駅近くの台東区松が谷3-10-7.に移転し、晴れて「秋葉神社」として火難守護、無病息災の神社として信仰を集めています。
 なお、昭和18年に現実に発生した「秋葉山の大火」では、本家本元の「秋葉神社」も全焼し、正に「秋葉山から火事」を体験しています。また、臨済宗建長寺派南養寺入口の「常夜燈」は甲州街道沿いの油家(原田家)前にあったものを甲州街道の拡張工事の際に移転したそうです。

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2019年1月11日 (金)

富士宮の花立塔婆(ミニ塔婆)のこと

 帰省の際は、隣ですから出来るだけ塔婆を持参して墓参りを行うようにしています。
 ただ、花立塔婆(ミニ塔婆)を近所のコンビニImageやスーパーで購入出来るのは静岡県の東部だけだったとは、最近まで知らなかったことでした。
 富士宮辺りでは、通常、お寺にお願いすれば数千円~1万円もする卒塔婆がスーパー等で100円前後で購入出来ます。この花立塔婆が広まる以前は、青竹製の花立に花を供えて置いていたのですが、昭和が終わる頃から青竹が手に入り難いことや花を供えることは、いずれゴミになるということで、某業者が花立代わりに卒塔婆を「花塔婆」として売り出したものが、最近では墓参りに欠かせない必需品となっています。
 卒塔婆(そとうば)はサンスクリット語の「ストゥーパ」のことで、「積み重ねる」という意味があるそうです。日本にも仏教伝来と同時に伝わり、お寺には五重塔や三重塔などとして建てられるようになりました。この五重塔などは、釈迦の遺骨等を安置した「仏塔」が始まりとされ、更に、小型化した石の五輪塔や木製の卒塔婆(そとば)、塔婆(とうば)、塔(とう)と呼ぶようになって墓地に置くようになりました。この塔婆を立てることは「」とされ、つまり、「塔婆を立てる=善を積む」ということだそうです。
 いずれにしても、お金がかかる墓地や葬儀、法事などもお釈迦様の教えとは無関係と言われていますから、100円前後で購入できる花立塔婆(ミニ塔婆)には重宝しています。なお、花立塔婆(ミニ塔婆)には、「南無妙法蓮華経」、「南無阿弥陀仏」と印字されたものと、お経の記載がないものの3種類がありますから、全国に拡散しても良さそうです。

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2019年1月 8日 (火)

屋外広告規制は「甲斐?より始めよ」

 「隗より始めよ」とは、一般的に「身近なことから始めよ」や「言い出した者か2019_1_70ら始めよ」の意味で使われています。きっと、山梨県の屋外広告物の規制は「甲斐よりはじめよ」?を意識していることでしょう。街で特に目立つ看板と言えば、給油所、コンビニ、自動車販売会社、金融機関、大手スーパーや洋品店などは、全国統一された形状・色彩の物が目に止まります。
 先日、久々に山梨県側から静岡県に入りますと、富士吉田市の富士山寄りのコンビニやガソリンスタンドなどの看板が実に景観に配慮した色彩になっていました。例えば、セブンイレブンの看板は、良く見かけるオレンジ、緑、赤の3色ですが、それが富士山近くでは、こげ茶一色だったのです。2019_1_7_image
 他の商用看板も高さや色彩を押さえたものに統一されていて、富士山の景観を邪魔しないものになっています。このような屋外広告看板の規制は、国立公園など風光明媚な観光地や京都・奈良などの歴史・文化的な景観地では、規制が厳しいと知られていますが、近県地域では今回初めて気が付いたのです。
  富士山が世界文化遺産に登録以来、山梨県・静岡県では、富士山の展望景観を阻害する電柱・電線の地中化を推進していると聞きます。屋外広告看板のサイズ、色彩、高さ等の規制もその一環なのでしょうが、日本では、街の景観を阻害する看板が多すぎると言われますから、山梨県の取組みは見習うべきでしょう。[PDF]

山梨県屋外広告物ガイドラインhttps://www.pref.yamanashi.jp/kendosui/okugaikoukoku/okugaikoukoku/documents/01-19.pdf

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2019年1月 3日 (木)

現在をいつも第一歩として踏み出せ・・

 格言カレンダー「現在をいつも第一歩として踏み出せば常に希望に満ちてくるDainichi__8072
  我が社では、例年このような「格言カレンダー」をお客様にお配りしておりますが、これは2019年1月の「今月の指針」です。
 この指針と似た言葉としては、出発点に立ち返って考えを直すという「日々新たに」或いは「初心に返る」があります。
 また、パナソニックの創業者・松下幸之助の著書『道をひらく』の中に、「日々是新なれば、すなわち日々是好日」とありますが、何度読み返しても勇気づけられ、含蓄のある凄い言葉です。
 年があらためれば心もあらたまる
 心があらたまればおめでたい。
 正月だけがめでたいのではない。
 心があらたまったとき、それはいつでもおめでたい。
 きのうもきょうも、自然の動きには何ら変わりはない。
 照る陽、吹く風、みな同じ。
 それでも心があらたまれば、見るもの聞くものが、みな新しい。
 年の始めは元旦で、一日の始めは朝起きたとき。
 年の始めがおめでたければ、朝起きたときも同じこと。
 
毎朝、心があらたまれば、毎日がお正月
 あらたまった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。
 
きのうはきのう、きょうはきょう。
 
きのうの苦労をきょうまで持ち越すことはない。
「一日の苦労は一日にて足れり」というように、きょうはまたきょうの運命がひらける。
 きのうの分まで背負ってはいられない。毎日が新しく、毎日が門出である。
 日々是新なれば、すなわち日々是好日。
 素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。
 さあ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。

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2019年1月 1日 (火)

本年も宜しくお願い致します。

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明けましておめでとうございます。
今年も 精一杯お客様の夢をカタチにするお手伝いを致したいと決意しております。
ご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
                           大日建設(株) 杉山武久
 2019年(平成31年) 亥年 元旦

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2018年12月29日 (土)

冬至の日で「1月1日」を決めたはず?

 今年のカレンダーも残すところ数日ですから「」の始まりのことSengo_image1を考えてみます。
 さて、郷里・富士宮の「千居(せんご)遺跡」には、環状列石と2列に置かれた石が真直ぐ富士山の方向に向かっています。このような縄文時代の環状列石(ストーンサークル)は、日本だけでも秋田県の「大湯環状列石」など178ヶ所も発見されていますから、縄文人の知的レベルの高さを伺い知ることが出来ます。
 きっと、暦の無い時代には環状に置いた石と背景の「山」などからの日の出や日没する太陽の位置関係を観測して、冬至、夏至、春分、秋分などを知り、農耕や祭礼などの行事到来を知ったはずです。まず、一年で陽の長さが一番短い「冬至の日」は昔の人も逸早く意識したはずであり、次の日から昼間の時間は次第に長くなって、太陽エネルギーが復活する日を誰もが待ち望んだことでしょう。
 そして、この日を一年の始まりである「1月1日」に決めたことは自然なことです。
  暦を制すものは権力を制すとも言いますが、暦を決めたり変更することは、その時代の最も強い権力者の元で行われています。現在、多くの国で使われている西暦 (太陽暦)は、紀元前45年に、ユリウス・カエサル(シーザー)による「ユリウス暦」が原型になり、これを、西暦1582年、ローマ・カトリック教皇グレゴリウス13世によって「グレゴリオ暦」が作られ、更に、日本が西暦を導入したのは、1872年(明治5年)12月3日のことですから、明治政府の有無を言わせない強い改革の力を思わせます。
 ところで、暦で一年の始まりである「1月1日」は、冬至の翌日に決めたものの、その当時は閏年で調整するシステムが無かったことから、現在では「1月1日」と冬至の日(12月22日)が9日間もズレています。同様にキリストの誕生日・クリスマスも冬至のお祭りであったことは知られていますが、同じような理由でズレ出しています。
 このようなズレも何時の日か、強い権力者が現れて、クリスマスと冬至は1月1日、春分は4月1日、夏至は7月1日、秋分は10月1日になるように修正する時代が到来するのでしょうか。それとも、権力者が作る人工的な「暦」にも限界がありそうですから、AI(人工知能)にお任せした「暦」なら上手にくるいなく調整してくれそうです。
 なお、静岡県文化局教授の内山純蔵博士によると、千居遺跡の配石遺構から見て、当時の富士山の双子の頂の間から日が昇っていたことから「夏至祭」の場であったとの仮説を立てています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170328-00000002-wordleaf-soci

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2018年12月26日 (水)

国破れて正義あり。正義ありて国甦る

 「国破れて正義あり。正義ありて国甦る」は、巨悪に挑む検00000123587察官の心意気です。
 この意味は、「巨悪を暴くことで、仮に国が危うくなったとしても正義を貫く」という決意と、国が亡んでも「正義を貫く人材がいるなら 、国は必ず蘇る 」という意味のはずです。今、注目の日産前会長の事件で、東京地検特捜部が特別背任で再逮捕したことで日本人として許しがたい数々の悪事が表沙汰になっています。これに対して、政治的意図や世論に思寝た国策捜査とか、勾留が長いなど日本の司法制度への批判、有罪に出来るのかなどの不安を煽る声も聞こえますが、検察官は国家の背骨として背筋を真っ直ぐに、正々堂々と揺ぎない信念を貫いて欲しいものです。
 ところで、唐(618~907年)の時代の詩聖・杜甫(712~770年)は幽閉されながらも、「国破れて山河在り 城春にして草木深・・・」と詠っています。禄山と思明(ししめい)が主導したイラン系のソグド人の反乱とされる安史の乱(755~763)で死者1300~3600万人も出して、国際都市として栄えた唐の都・長安の荒廃を嘆いています。それまでは、日本も遣隋使・遣唐使を何度も送って多くを学んでいたのに、その土地の歴史や文化を大切にしない遊牧の民である異民族に支配されると、古き良き時代の中国が尽く破壊されてしまいました。
 幽閉中の杜甫も、白頭掻更短、渾欲不勝簪、「心労のため白髪頭を掻けば一層薄くなり、まったく冠を止める簪(かんざし)もさすことができない」と嘆いて、その後の中国を予測しています。事実、中国では次の支配者が権力を掌握すると、前の権力者の書物や記録、儒学者は全て邪魔になり尽く焚書坑儒することは当然でした。
 つまり、検察が「正義ありて国甦る」と語れるのは、日本では歴史と伝統、文化の連続性が保持され、その国民の正義を信じているからでしょう。しかし、中国で4000年の歴史と語られても、焚書坑儒の土地ですから、かつての「殷・周・秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清」などが蘇ることは有りえないことです。なお、唐(618~907)の時代は、安史の乱(755~763)で大ダメージを受けて国力が衰退し、更に黄巣の乱(875年〜884年)で衰弱し、約300年にも渡り中国を支配した唐は907年滅亡しています。菅原道真が遣唐使を廃止したのは894年ですから、唐滅亡の13年前のことでした。
春望」 杜甫
国破れて 山河あり
城春(しろはる)にして 草木(そうぼく)深し
時に感じては 花にも涙をそそぎ
別れを恨(うら)んでは 鳥にも心を驚かす
烽火(ほうか) 三月(さんげつ)に連なり
家書(かしょ) 万金(ばんきん)に抵(あた)る
白頭(はくとう) 掻(か)けば更に短く
渾(すべ)て 簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す

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